エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

分子進化のほぼ中立説

来年度の大学院講義名が「イメージング基礎」と決まった。ところが教科書指定するはずの"Fundamentals of Light Microscopy and Electronic Imaging 2ND Edition"がようやく先月出たばかりでいつ手に入るのかわからない。ちょっと不安。


太田朋子の「分子進化のほぼ中立説」を読む。

分子進化のほぼ中立説―偶然と淘汰の進化モデル (ブルーバックス)

分子進化のほぼ中立説―偶然と淘汰の進化モデル (ブルーバックス)

随分昔に木村資生先生の「分子進化の中立説」を買って読もうとしたことがある。正直言って退屈で2章にもいかずに挫折した。太田先生が、中立説をさらに精緻にした「ほぼ中立説」を作られたことは認識していたので、さすがにブルーバックスなら読めるだろうと思った。予想以上にためになった。

「ほぼ中立説」は、「弱有害効果を持つ突然変異がおおく存在する」という仮定に基づく理論である。確率的な遺伝子進化の過程と熱力学のシステムとの類比での説明もされているので、割とすんなり飲み込める。さらに、現代のゲノム時代を迎えて、大量のゲノムデータの解析で「ほぼ中立説」はかなり信憑性がが増してきていることがわかる。


「遺伝子発現の変化は生物の形態の変化をもたらし、したがって表現型の進化にとって重要と考えられるが、発現自体ロバストである(たとえばマイクロRNAの働き)ということは、ダーウィン淘汰とドリフトの問題を考える上で極めて重要な意味を持つ」


「しばしば発生学の人たちの議論では、遺伝子がどこでどう発現されるかというプロセスについて詳しい解析があるのに、それが進化の過程でどのようにできてきたかという部分は不十分である。そして、現在上手く機能していると思われる遺伝子発現調節のシステムが、自然淘汰によってできてきたとのみ述べている。発現調節の複雑システムがどのようにできてきたのか、まだ分からないことの多い難しい問題であるが、ここでははやりドリフトと淘汰を共に取り入れるほぼ中立なプロセスとして考える」

この本の中で個人的には一番驚いたのはこの部分。
酵母で知られている合成致死の組み合わせについて、線虫でどうなっているだろうか?テイッシュラーらは、驚くべき結果を得た。すなわち、そのような組み合わせのほとんどが酵母と線虫の間で保存されていないのである。合成致死が保存されているのは。たった0.7%というのだ。一方、必須蛋白質に関しては、61%の遺伝子で酵母と線虫の間で保存されているという。この大きな違いの進化における意味は、計り知れない。進化過程では発現の単位である蛋白質はあまり変化しないのに、その調節のパターンは速やかに変化している」これが何を意味するか。ひとつの蛋白質の機能や構造を調べる限り、酵母で調べようがそのヒトの相同蛋白質を調べようが、まああんまり大きな違いはない(ことが多い)。ところが、生理機能とかそのサブシステムを研究対象にする場合(今後の生物学の方向性は明らかにそちらにある)、「調節のパターンが速やかに変化している」とすれば、それをモデル動物で調べるのと、ヒトで調べることの間にはたぶん決定的な違いがあちこちに存在しているに違いない。話を神経科学に限ろう。もしモデル動物での「生理機能やそのサブシステム」の解析からは、ヒトの「生理機能やそのサブシステム」についての知見を引き出すことができないのであれば、少なくとも臨床的意義を考えると(あるいはヒトの脳を理解したいという素朴な気持ちこそが神経科学の原点であることを考えると)、モデル動物での神経科学的解析は、生物学であってそれ以上の意義はない、ということになる可能性がある。モデル動物を使った神経科学者は進化遺伝学から得られたこのテイッシュラーらの結果を真剣に受け止める必要があるだろう。