エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

希望という言葉が背負える力

新型コロナウイルス感染症流行のはじまりのころに、小澤征爾が指揮するサイトウ・キネンオーケストラのマタイ受難曲をたまたま聴いた。名曲という話は耳にするが自分には縁のない曲だと思っていた。でも気がついたら2時間弱の演奏を一気に聴ききっていた。こういう状況が感受性をたかぶらせて受容の下地を作っていたのかもしれない。こればかりはこういう状況にないと身に染みてこないのだろう。以来、精神安定薬がわりに気が向いた時に聞き続けている。

 

アビジット・V・バナジーエステル・デュフロの「絶望を希望に変える経済学」を読む。この夫妻は2019年のノーベル経済学賞の受賞者だそうなので、知っている人は当然多いのだろう。非常に優れた本だと思う。

 

科学について理系文系という分け方におよそ意味はないが、社会が理系の科学の対象になることは統計や推定モデルを使ったsimulationやモデル化を除けばまずないと言っていい。生きづらい世界や社会になるほどその解決の方法を直接考察する社会科学は大事だと思う。思うが何だか物足りないと思っていたが、そういうもやもやした気持ちをけとばしてくれる本だった。

 

バナジーとデュフロの問題意識は格差拡大、後進国経済、社会の分断、貧困層のモラルなどに経済学、社会科学の視点から答えようというもので、トマ・ピケティなどと近い。

http://tnakamr.hatenablog.com/entry/20150104/1420364658

 

「事実から目をそらさず。見てくれのいい対策や特効薬的な解決を疑ってかかり、自分の知識や理解につねに謙虚で誠実であること。そしておそらく一番大事なのは、アイデアを試し、まちがう勇気を持つことだ。より人間らしく生きられる世界をつくるという目標に近づくために」

 

「最良の経済学は多くの場合に非常に控えめだと私たちは感じている。世界はすでに複雑で不確実過ぎる。そうした世界で経済学者が共有できる最も価値あるものは、往々にして結論ではなく、そこにいたるまでの道のりだ。知りえた事実、その事実を解釈した方法、推論の各段階、なお残る不確実性の要因などを共有することが望ましい。このことは、物理学者が科学者であるのと同じ意味では経済学者が科学者ではないこと、よって経済学には絶対確実と言えるものがほとんどないことと関係がある」

 

 

特にじんときたのはアメリカにおける不平等の拡大を「尊厳」という見方でとらえ直した第7章だ。

「この不平等な世界で人々が単に生き延びるだけでなく尊厳をもって生きていけるような政策をいますぐ設計しない限り、社会に対する市民の信頼は永久に失われてしまう、ということだ。そのような効果的な社会政策を設計し、必要な予算を確保することこそ、現在の喫緊の課題である」

 

発展途上国を旅して何度となく気づかされるのは、希望は人間を前へ進ませる燃料だということだ。抱えている問題でその人を定義することは、外的な条件をその人の本質とみなすことにほかならない。そのように扱われた人は希望を失い、社会に裏切られ疎外されたという感情を強く持つようになる。それは社会全体にとって非常に危険なことだ」

いちど今持っている枠を外して考えれば、たしかに希望という言葉が背負える力は大きい。