エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

心は遺伝子の論理で決まるのか

勤務先の大学院には副指導教員という制度があり、いわゆる指導教員のほかに2人の教員が研究や生活面などの相談にのることになっている。今年は博士1年の学生さんの副指導にあたることになり、今日早速1時間ほど話をした。その学生さんは神経回路の研究をしているのだが、これまでの経緯を聞いていて、自分の昔のことを思い出した。

生物学にはdry job(理論)とwet job(実験)がある。その学生さんはもともとコンピュータが得意で、dry jobの方にいったのだが、「この方向で自分が知りたいことがわかるのか」という気がだんだん強くなり、wetにずっぽり浸ってみようと考えて、大学院では鳥やマウスと格闘することにしたという。自分も昔同じことでさんざん悩んだなあと思い、「ところでこれからどうするの」と思わず聞いたら、まだ模索の最中らしい。世の中のはやりすたりもあるし、それにつれて就職状況も変わるし、そのあたりは指導できるようなことでもないので、ひたすら聞き役にまわった。10年さきのことなんてわからないしなあ。

キース・スタノヴィッチの「心は遺伝子の論理で決まるのか」を読む。

心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

この本は実は正月休みに読む本を探しに生協に行って、タイトルで衝動買いした本である。読み始めたら、やたらにダン・リベットやらドーキンスやらが説明抜きで出てくるので、まずはそちらを通れということかと思って、「ダーウィンの危険な思想」http://d.hatena.ne.jp/tnakamr/20090221やら「利己的な遺伝子http://d.hatena.ne.jp/tnakamr/20090322やらをこつこつ読んでみた。おかげで、スタノヴィッチのこの本は十分に味わえたと思う。生物学とも心理学とも「生き方の本」ともとれる良書だった。

まずは、この本が何を目指すか。
認知科学とユニバーサル・ダーウィニズムをして、一般の人々が抱いてきた概念をとことんまで変貌させ、なにが残るかを見きわめる−それが本書の採用する姿勢である」
「自己複製する遺伝子にとって都合のいい乗り物であることにヒトの存在理由がある、ということが現代の進化理論に内包される決定的に重要な理念と言えるのである」
「ヒトが複製子の偏狭な利益を超越し、みずからの自律的目的を確立するための第一歩として進化の真実を理解し、認識を変革する行為をひっくるめてロボットの叛逆と呼ぶことにしたい」

最初に出てくるのが、認知の二重過程モデルである。
認知神経科学認知心理学の両分野で明らかになったことを考え合わせると、ある結論が見えてくる。それは、脳の働きが、ある程度機能を異にし、長所と短所を異にするふたつの認知タイプによって特徴づけられる、ということである」
「TASS(The Atonomous Set of Systems)の目的構造は進化の過程において、遺伝子の再生産の可能性を高める方向で形作られてきた。一方、分析的システムはなによりもまず、完結した生命体としての個人の利益に焦点を定めた制御システムである。人間の、個人的目的達成感を最大にしようとするのである。そのためにはときとして、遺伝子の合目的性を犠牲にすることもある」
ここでは、スタノヴィッチはいかにして、自動的に発生してくるTASSを、合理的思考によって押さえ込めばいいかを力説する。ここで連想したのは神経症認知療法(雅子さんが大野裕に受けているというあれ)である。

「分析的システムのロングリーシュ型の目的は、どのように発生するのか。この疑問に対する答えは新たな不安をもたらす。なぜなら、答がもうひとつの、心底ぞっとするような事実を明るみに出すからである。その事実とは、私たちが(利己的遺伝子から)逃げていく先に、もうひとつ別の複製子が存在するということである」この複製子とはミームのこと。ドーキンスの「利己的な遺伝子」が、射程の長い、すばらしく時代に先駆けた名著であったことがよくわかる。

ただ、ここまで読んだところで、「生き方の本」としては不満が残っていた。自動思考を合理的認知でおさえこんで良しとするのは、あまりに味気ない生き方ではないかという不満である。私としては、その先にもっと融合的な、たとえば天地有情的な境地があると信じたい。その辺は、スタノヴィッチもきちんとわかっていて、以下のメタ表象という一段上の認知を引っ張り出してきて、その味気なさをうめようとしている。

「上位の評価によって、自分が正しい目的を追求しているか否かを判断することができるのは、このメタ表象能力あればこそである。メタ表象能力は、私たちの生活と行動に象徴的効用を追加することを可能にしてくれる。ミーム評価に必要な、信念から距離を置くことも可能にする。また、宿主としての自分に寄生する
ミームや一次的欲望を、批判的に評価できるのも、このメタ表象能力が、遺伝子あるいはミームが乗り物としての人間を犠牲にしているか否かについての評価を可能にするからである」

個人的には、メタ表象能力よりは、東洋的な「天地有情」の方がはるかに深いと思う。実践的でもあるし。それはともかく、この本はその多面性と緻密さで印象深かった。