エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

あぶないsocial cognitive neuroscience

あさってのB教授へのプレゼンに向けてpowerpoint作りを進めた。何しろRap1の第一人者なので、どこから爆撃されるかわからない。基本は守備的に行きつつ、要所で踏ん張りたい。


藤井直敬の「つながる脳」を読んだ。

つながる脳

つながる脳

藤井氏は若くして日本のsocial cognitive neuroscienceを代表する存在。この本はそんな藤井氏の神経科学に対する煮えたぎる思いをひたすら率直に綴ったもので、論理展開はあちこち甘いけれど、踏み込みの気迫に押されるものがある。

ですが、ブログを書くために要所を読み返してみたら、実はかなりあぶない人のような気がしてきた。まあでも革命家はだいたいあぶないものと昔から決まっていますが。


「今後の脳科学分子生物学を中心に発達していくのではないかと、僕のような電気生理を正業とする研究者は少々ビクビクしていました。
ところが、やはり社会的脳機能という側面で脳を見つめなおし始めたところ、脳機能はやはりモノには還元できないのではないかと思えるようになってきたのです。その理由は、私たちヒトが自分の身体認知機能を外部に拡張してしまったからです」
これは確信犯的二元論者だという告白なのか?

「脳研究の可能性を狭めていると僕が思うのは、厳密な再現性の問題です。先に述べたように、脳機能の非定常的な性質が脳科学研究を困難にしています。しかし、その非定常性を認めず、人工的に作った定常状態での脳機能のみを理解しようとするやり方が現在の主流です。その環境では、厳密な再現性が重要な要素になるのです。
しかし、世の中では同じ事が二度起きることはありませんから、再現性を極端に重視する研究志向を改め、むしろ一回性を科学的に取り扱うための取り組み方法を探るべきではないかと思います。しかし、僕たち研究者の性格としてか、もしくはそういうトレーニングを受けたせいか、一回性よりも再現性を重んじる傾向があるのは確かです。それは、何より論理がわかりやすく、研究も行いやすいからです。しかし、脳機能を本当の意味で理解するためには、積極的にこの性向を壊し、一回性の海へ飛び込まないことには、脳科学の未来はないと思います」
一回性の世界で勝負しているのは、宇宙論も進化論もそうなので、科学=再現性というのは一種の被害妄想では?

「つまり、抑制というものが社会性の根本にあるのではないかというのが、この実験を通じて到達した僕の考えです。本書で皆さんに一番お伝えしたかったのは、この一言です。Homo Confuto(我慢するサル)としてヒトを捉えることで、おそらく脳研究は大きく開いていくのではないでしょうか」
抑制というものが社会性の根本にあるのであえば、そんな社会性はたいしたものではない、とフロイトユングなら言うでしょう。

「僕たちは進化のある時点から環境による淘汰から外れたのだと思います。ケモノから突然ヒトになったのならいざ知らず、現在の僕たちヒトがそんなに自分の遺伝子の保存にこだわっているとは思えません。むしろ社会の安定した存続、自分と関係性をもつ家族を含む他者の幸せを願う気持ちが強いのではないかと思うのです」
とどめはこれでした。人類が自然淘汰から自由になったという思い込みは、単に間違いではなく危険である。脳も身体であり、身体である以上自然淘汰からは自由になれないのは私にとっては自明である。


結論:やはりあぶない