エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

Nature via Nurture

朝、不意に思い立って、嫁さんと龍安寺に桜を見にでかけた。あの石庭に前方からかぶさるようにして枝垂桜が咲いている写真を見たとき、「次は桜の季節に来よう」と思ったのを思い出したからだ。

枝垂桜は満開で、石庭にはなやかな蔭を落としている。少しばかりの風でゆらゆらと揺さぶられるのを見ていると、「いいものを見ている」という気持ちになる。

マット・リドレーの「やわらかな遺伝子」を読む。原題は"nature via nurture"。

やわらかな遺伝子

やわらかな遺伝子

「生まれか育ちか」(nature vs nurture)というのは近現代の生物学がずっと背負ってきた問題だが、ゲノム解読に象徴される現代生物学はようやくその解答を見出した、というのがマット・リドレーの主張だ。それがnature via nurture(生まれは育ちを通して)だ。

「ゲノム組織化装置」としてみた時の「遺伝子」は、私達の中で起こることの原因ではなく、環境に柔軟に反応して働く装置である。環境は必ず遺伝子を通して作用するという考えを出すことによって、マット・リドレーは、遺伝子決定論でない遺伝子機能論を作り上げた。遺伝子は、「生まれだけでなく育ちの根源でもある」というわけだ(訳者あとがきから)

そういう文脈で読んでもこの本は面白いが、生物学の講義を準備する気で読むと、この本はネタの宝庫である。正確にいうと、どこかで聞きかじったり、ぼんやりと知っていたようなことを、きちんとした形で提示してくれるので、断片的な知識を人に説明できる形で再入力することができる。

「よくわからないのは、ヒトの集団には、科学的に予想される以上に多型が豊富なことだ。行動遺伝学が、何が行動を決定しているかではなく、何がばらつくかを明らかにしていることを思い出してもらいたい。−遺伝子の多型こそ、すばらしい謎の1つなのだ。−こうしたさまざまな多型の説明は、1930年代にはすでに進化論者の間で激しい対立を生み出していた。この問題は、いまだ決着を見ていない」
「学習は、一般的なメカニズムとして存在するものではない。インプットのタイプに応じて個別に形成されるものであり、チンパンジーにも模倣による学習が可能なインプットがあるかもしれない」
「ずいぶん皮肉な話だが、社会が平等になるほど、先天的な要因が重要になる。だれもが同じ食料を手に入れられる世界では、背丈や体重の遺伝性が高くなる。一方、一部の人が贅沢に暮らし、他の人が飢えているような世界では、体重の遺伝性は低くなる。同様に、だれもが同じ教育を受けられる世界では、最高の仕事は、生得的な才能が最も高い人のものになる。これがつまり、実力社会という言葉の意味するところなのである」
「結局、自由意志について子細に説明できたなどとはとても言えそうにない。そんな説明はまだあり得ないと言ってよい。自由意志は、遺伝子間の循環的な関係に内在する、さまざまに変化するニューロン・ネットワークのへの循環的な影響をすべて足し合わせてできあがっているものなのである」