エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

貧困の僻地

昨日は神戸大のS先生に頼まれて1時間半の講義をしてきた。「先端医学セミナー」という医学部博士課程対象の4コマ講義で、「イメージングの最先端」というシリーズ。細胞から電顕までが対象らしい。

英語で講義をするのは2回目だったので、なかなか準備が大変だった。今回は綿密な原稿を作って乗り切ったが、あと10年もすれば半分は英語の講義になりそうで、そうなるとなかなかこうは行かないだろうと思う。10年後には3分の1はアジアからの留学生になっているだろうから、この流れは止まりそうもない。今回は40人の学生のうち、留学生は4、5人だったので、とりあえず質疑応答は日本語もあり、試験も日本語可ということでやった。

今日から、研究室に1ヶ月半の予定で、留学生がやってきた。なかなか美人の女の子(日系3世?)なので、みんな親切。直接指導するKさん(女性)は張り切ってそわそわしている。またランチが英語の時間になりそう。でも1年のうち半分は外国人がいるので、学生の英語力は確実にupしている。私の学生の頃とは比べ物にならないくらい会話がうまい。

曽野綾子の「貧困の僻地」を読む。

貧困の僻地

貧困の僻地

10年続いた「新潮45」の「夜明けの新聞の匂い」もこの本でおしまい。10年前といえば、8年勤めた会社をやめて、国立研究所でのポスドク生活をはじめたころで、「夜明けの新聞の匂い」のはじめとした曽野綾子のエッセイには随分励まされた。

曽野綾子のエッセイに何を学んだかを考えると本当にいろいろあるが、「日本の日常以外の基準がある」ということだろうか。そして、日本の日常という基準がいかに恵まれている(裏返せば甘やかされてやわになっている)ということだろうか。

「もうすでにこれだけ恵まれているのだから、将来の保障など求めまい」と不思議と安堵することができたのを覚えている。

この本でも、その基本は見事に貫かれている。

「いい生涯というものは、例外なく強烈だと私は感じた。迷うことなく、使命と思われる道に邁進している。そのはるかかなたには、恋人のように神の存在があった。だから人は迷うこともなく、アフリカの地からでもどこからでも、星の輝く天に旅立てるのである」

そして、曽野綾子の筆は、日本人以外にも公正に厳しい。単なる外国礼賛ではないところが安心して話を聞ける所以である。

「正直に言って、アフリカの未来に光明はすぐには見えない。独立後、十分に一世代以上が経過した国が多いのに、確たる希望のきざしは見えない。しかしだからと言って放置していいものでもないだろう。長い年月の間に私たちが到達した答えは、アフリカに貢献する道は教育を与えることしかないということだった。もちろん私たちは生きている間にその成果を見ることはないだろう。しかしそれでいいのだ。私も自分の眼が見えなくなるかもしれなかった中年の危機に、しきりに果物の木を植えた。その木が実をつける頃には、経済的な理由からその土地を手放しているだろう、と思いながら、それでも私は自分の心の救いのために果実の木を植えていた。樹木も人も、育つには年月がかかる。だから、未来の確証はなくとも、命は植えておかねばならないのだろう」

私もまた、自分の木を植え、時間をかけて人を育てたいと思う。