エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

Voltaire's Bastards

先週末にGoogleで家族のホームページを作った。友達のみ公開のクローズドだ。無料でもいろいろ技が使えてこつこつ工夫しているとなかなか楽しい。この調子でホームページ作成に慣れてhtmlを使えるようになるのが目標だ。

昨日の晩は、中二の娘が書き込みの面白さにめざめたようで、あれこれ調子のいいことを書いている。ギャグが今風でうならされる。


ジョン・ラルストン・ソウルの「官僚国家の崩壊」を読む。

官僚国家の崩壊〈上〉

官僚国家の崩壊〈上〉

官僚国家の崩壊〈下〉

官僚国家の崩壊〈下〉

原題は"Voltaire's Bastards"。現代の理性主義・合理主義に対する800ページを費やしての徹底的な批判の本だ。ここでいう現代とは、17世紀から現在までのことで、ひとつかみにして批判される。

「たとえば、重要な問題について発言しようとする人々がかつてないほど減ってしまった。彼らの不安は肉体的な脅威と結びついているのではなく、仲間の専門家から孤立したり、キャリアをふいにする恐れ、あるいは非専門的な分野に格下げされる恐れと結びついている。宮廷の礼儀作法にがんじがらめだった18世紀以来、公的な議論がこれほど固定した立場や決まり文句とレトリックを一手に扱うエリート専門家だけにゆだねられたことはなかった」

「ハーヴァードとエナは全般的な状況の象徴のようなものである。ビジネススクールや行政の単科大学はヨーロッパ中に雨後の筍のように現れ、同じように解答を重視する万能のエリートという論理的な誤りを重ねてきた。卒業生の中で、現実の社会体験によって生まれる相対的な心理といった感覚をもっている者はほとんどいない。客観的な抽象概念に基づく絶対的な真理が最も幅をきかせている。こうした真理はいくらでも弁護できて、相互に取り替えもきくのだ」

「われわれ欧米人が何をしてきたかといえば、三つの要素を、それがもともと家族であるかのようにごた混ぜにしてきたのだ。三つの要素とは、民主主義と理性と資本主義である。だが、これらはもともと同胞でさえない。今日、意気軒昂として資本主義擁護論をぶつビジネスマンは、実は理性が打ち負かした資本主義の産物である」

「この点については、歴史の教訓のほうがはっきりしている。上昇気運にある社会は、単純かつ簡潔で、相対的に融通がきかない。その一方で、衰退期に入った社会は寛大で放縦、そしていびつである」

「われわれが信じてきた社会のイメージは樹木のようなもので、その枝には専門家による個人主義という実が育ち、熟しつつあるというものである。だが、より正確なイメージは果てしなく続く迷路のような回廊で、それは鍵のかかった扉によって仕切られ、それぞれの扉は小さな独房につながっているというものだ」

「ジェファソンだけではなかった。哲学者から哲学者へ、一つの言葉がこれほどすみやかに広まったことはほとんどなかった。合理的な状況で、神が構造の十字架にかけられ、ゆっくりと死んでいくように、「幸福」は次第に台頭して、無意識な世俗の多神教に転換しつつある文明において、新しい神の一つとなった」

楽しい本でも分かりやすい本でもないが、深淵をのぞきこむような思いを誘う本である。