エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

minimal NCC

再来週、神戸大で英語の講義を頼まれていて、そのための英語のブラッシュアップにBrian Science PodcastのChristof Kockの回を繰り返し聞いている。

そのうちにふとNCC(Neurocal Correlate of Consciousness)を構成可能な最小ニューロン数はどれくらいだろうという疑問が湧いてきた。

池谷裕二さんがイメージングした感じでは、皮質ニューロンは100から1000個でひとつの機能単位(たぶんカラムのさらに下の単位)を構成していそうだそうだ(現象論的観察)。

とくに、マジックナンバーは150近辺ではないかとも話している。150というのは、普通に暮らしている人間が日常的につきあっている人たちの数で、自分の実感でも納得できる。

一方で線虫のニューロン数は300個。右と左である程度の独立性があると仮定すると、150個ほどでひとまとまりと考えることができる。

そうした見積もりを横目で見ながら、Kochの話を聞いていると、NCCの最小構成可能単位は何個だろう?という疑問が湧いてきたわけだ。

池谷さんの観察・推測に近い150個に近いのか、Blue Brain Projectで考えている1万個に近いのか。

ちなみに、細胞生物学でのシステムバイオロジーでは、コンポーネントが100個近くあれば、十分複雑な現象を創発させることができ、かつ生データと面白い対応を見せるモデルを作ることができる。

最近の論文では、コンポーネント数がわずか30個足らずで仕事をしたが、結構使える。現在はさらに周辺分子を増やして100個近くになっていて、結構面白いことが見えている(そうだ)。

そうした実感からすると、個人的にはminimal NCCが150個のニューロンからできていても驚きはしないだろう。

林達夫セレクション1 反語的精神」を読む。

もう30年近く前のことになるが、大学試験の国語によく小林秀雄の随筆が出ていたので、せっせと読んでいた。そのわりに好きになった覚えがない(中原中也についてのひどく感傷的ないくつかの随筆を除くと)。

そのころ、愛掌の随筆作家は林達夫だった。「語るなら声低く語れ」という言葉にはいつも深い慰めを覚えたものだ。

山口昌男の本を読んでいたら、あちこちで林達夫の名前が出てくる。懐かしくて、図書館で手配をして早速読んだのが上記の本。戦中戦後の7、8年ほどに発表された広範囲の随筆集だ。有名なところでは、「共産主義的人間」とか「支那留学生」とかが入っている。

実に心落ち着く作品集である。この読みやすさは、玉村豊男に通じるものがあると気がついた。玉村豊男との違いは、静けさと、微量の感傷性である。

「私はあの八月十五日全面降伏の報をきいたとき、文字どおり滂沱として涙をとどめ得なかった。わが身のどこにそんなにもたくさんの涙がふそんでいるかと思われるほど、あとからあとから涙がこぼれ落ちた。おそらくそれまでの半生に私の流した涙の全量にも匹敵する量であったろう。複雑な、しかも単純なやり場のない無念さであった。私の心眼は日本の全過去と全未来とをありありと見てとってしまったのである。「日本よ、さらば」、それが私の感慨であり、心の心棒がそのとき音もなく真っ二つに折れてしまった」

「あの八月十五日の晩、私はドーデの「月曜物語」のなかにある「最後の授業」を読んでそこでまたこんどは嗚咽したことを想い起こす。戦前、戦中、私はある大学でアメリカ合衆国史を講じていて、当時としては公平至極に歪曲しないアメリカの姿の説明に努めたものだが、その日以来私はぴったりアメリカについて語ることをやめてしまった。もはや私如きものの出る幕ではなくなったからである。日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう―そういうこれからの日本に私は何の興味も期待も持つことはできなかった」