エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

定石からビジョンへ

先週のシミュレーションの講義2コマに続き、今日のイメージングの講義1コマで今年度の授業は終了。あとは来月の非常勤講師の1コマだけ。大学院しかないと講義のdutyはこんなものなので、教育のdutyが多い大学に異動したら相当頭を切り替えないと対応に苦労しそうだ。

羽生善治・今北純一の「定石からビジョンへ」を読む。

日本人離れした今北氏と天才羽生善治の対談。何気なく読み始めたが、あちこちに思い当たることがあって、つい読みふけってしまった。4年位前に谷川浩司河合隼雄の対談というのがあって(「無為の力」)、読後しばらく考え込まされる本だったが、今度もそうなりそうだ。

「(羽生)この知性と感性の二つのバランスをとるのはかなり難しいのです。というのも。知識に偏ってしまうと感性が鈍ってしまうからです。例えば、初めて見る場面のほうが閃きやすいということがあります。データがないも無いと、その場面で、自分の頭で必死に考えるしかないじゃないですか。知識や定石に縛られないから自由な発想ができるわけです。一方、感性に頼りすぎると将棋が雑になってしまうのですね」
論文を読みすぎると、新しいアイデアが出なくなるという話と一緒。結局はいかに高いレベルでバランスを保つかなのだが、私の場合、常に実験をしていることでバランスを保つというやり方なので、講義で時間をとられて日常的に自分で実験がやれない状態になっても、そのバランスを保つ工夫をしなければならないと思っている。

「(今北)刀は磨かなければ錆びてしまいますからね。人材が日本に決していないわけではないし、予備軍もいっぱいいるのに潰してしまう背景には、そういうメカニズムが働いているのでしょうね。フラストレーションをコントロールしながらやっていく反動が、トップになった途端の守りの姿勢に表れるのじゃないかと思います」
教授になった途端、守りに入るというのと一緒。こればかりはなってみないと自分がどういうタイプなのかはわからないと思っている。

「(今北)これまで日本は優秀さについての幻想を抱えつつやってきたのです。その代表が学歴であり、語学です。もちろん、学歴に意味が無いといっているわけではないし、外国語はできないよりはできたほうがいいわけです。でも、いつの間にか学歴を所得することそのもの、語学を身につけることそのものが目的化してしまったのですね。何のために、ということがそこにはない。手段が目的化すると人は停滞し、組織は衰退するというのが、私の見つけた法則です。目的は常に生き生きしているものであるべきで、だからこそミッションなのです。それも人から与えられたらつまらなくなってしまいます。「こうしろ」「ああしろ」と言われるのはかなりの人が嫌ですね。自分が自分に命令するのならいいわけです。私が思っている「個人のミッション」というのはそれなのです」
全く同感。研究者にとっては「どうしようもなく惹きつけられるテーマ」というのがそれになるのだろうか。

「(今北)大学院の化学工学科で西村肇先生に出会ったのです。入ってすぐに「きみは数学が得意そうだから」と、先輩たちの前で、ある問題を解くように言われたのです。その問題というのが、方程式に数字を与えて解くというのではなく、方程式そのものをゼロから導くというものでした。それまでの受験時代、大学時代を通じて一度もやったことがないテーマでした。黒板の前で頭が空白状態になって・・・。すると、先生が「きみの能力は、正解のある問題を解ける能力だけなんじゃないの。自分で問題を提起して、答えのない問題に取り組んだことは一度もないのじゃないの」と言われたのです」
学生にこんな言い方ができたのは今や昔話。今は、こういう言い方をせずにいかにそれに気づかせるかに心を砕くのが普通だろう。

「(羽生)逆に、そういう一瞬の閃きとかきらめきのある人よりも。見た目にはゆっくりしていて、シャープさはさほど感じられないが、でも確実にステップを上げていく人、ずっと同じスタンスで将棋に取り組むことができる人のほうが結果として上に来ているという印象を私は持っています。ですから、才能のある人というんは、同じテンションだとか、同じ情熱でずっと長い間続けることができる人じゃないでしょうか」
結局は「どれだけ好きか」ということでしょう。家庭を持ち、子供と遊ぶのが無性に楽しい時期になっても、それでもやはり天職と感じる仕事に時間を使い続けることができるか。でも一歩間違えると単なるワーカホリックです。