エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

人間を人間たらしめているのは何か

明けましておめでとうございます。今年の一番の目標は「健やかに暮らすこと」なので、早速昨日からスポーツクラブに行って、ウォーキングとヨガをやってきた。気のせいか体が軽い。


アリス・ロバーツの「人類20万年遥かなる旅路」を読む。

人類20万年 遙かなる旅路

人類20万年 遙かなる旅路


意識のメカニズムや発生について考えていると、自然と現生人類の歴史に興味がわいて、関連本が目につくとたまに読んでしまう。この本もそんな調子で年末から少しずつ楽しみながら読み進めた。もともとはBBCのドキュメンタリー番組のための取材で、解剖学や人類古生物学が専門のアリス・ロバーツが世界中を(アフリカ、中東、インド、東南アジア、シベリア、中国、ヨーロッパ、南北アメリカ)と発掘現場、遺跡、原住民の集落、博物館など、「人類の歴史の証拠そのもの」を追いかけてまわった旅の記録。著者はいい人柄なのか、文章が自然で、それでいて読み飛ばせないようなcharmingな記述もあちこちにあって、休みに読むにはいい本だった。


単に楽しいだけではなく、この分野の大きなトピックや裏話があちこちででてくるのが刺激になる。

ひとつは、インドネシアの島に1万2千年前まで住んでいたホビットという現生人類とは別の人類の話だ。(今もいる、という言い伝えもある)
「私たちは人間のことを今日の地球で唯一の人類とみなしがちだ。他の動物とあまりにも似ていないので、特別な創造物だと考える人もいるほどだ。しかし、人間の独自性を脅かすような種が発見されたとなると、その幻想は揺らいでしまう。ホビットが発見されたとき、クリス・ストリンガーはこう言った。『これは注目に値する驚くべき発見で、しかも…人間を人間たらしめているのは何か、という問いそのものを否定しかねない』」

現生人類とネアンデルタール人の比較については、ネアンデルタール人のゲノムプロジェクトの話もあって身近な話題だが、この話はかなり意外だった。
「なぜ、現生人類とネアンデルタール人は同じ型のFOXP2を持っているのだろう?答えは、ヒト型のFOXP2がかつての推定よりもずっと歴史が古く、現生人類とネアンデルタール人が分岐する前から存在していたか、あるいは、交雑によって一方からもう一方へ伝えられたかのどちらかだ。今のところ、交雑による遺伝子流動が起きたという証拠は発見されておらず、後者の可能性はかなり低そうだ」
FOXP2は、現生人類の言語能力の発生にcriticalであるとされている「言語遺伝子」で、ここにヒト型の変異が20万年前に(つまりアフリカで現生人類が出現するのと同じ時期に)生じたとされている。
ネアンデルタール人もヒト型のFOXP2をもっていたというデータはこれまでの議論を急に不透明な(または面白い)ものにする。

あとは、トルコのギョベクリ・テベ遺跡の話には驚いた。

「ギョベクリ・テベの神殿らしき建造物を作ったのは、狩猟採集民なのだ。この発見は、新石器時代に関する既存のパラダイムに挑戦するものだ。これまで考古学者らは、新石器時代は次のような順序で発展していったと考えていた。それは、まず人口が増加し、より多くの食料が必要となり、農業が始まり、それによって社会が階層化し、新たな権力構造が生まれ、宗教が起きた、というものだ。しかし、ギョベクリ・テベは、狩猟採集民が、階層化された複雑な社会―そこには神殿を建造する石工がいた―と、組織化された宗教を持っていたことを示唆しているのだ」

「不可思議なことに、T字型に置かれた石柱の中には、両腕を肘でまげて前で握っているような浮彫が施されているものがある。顔も、目も鼻も口もないが、クラウスはその巨大な石は人間の姿を表していると考えている。
『石で造られたこれらの存在は、いったいだれなのでしょう?』彼は改まった言い方でわたしに問いかけた。
『彼らは歴史上初めて描かれた神なのです』」

「まず社会が変化し、それに続いて農業がはじまったのだ。ギョベクリ・テベはまさにこの初期段階にある遺跡で、農業と陶器製作が始まる前に、すでに複雑な社会が存在していたことを証明している。クラウスは、この社会変化が農業の発展を促したと考えている。人々は神に捧げる供物が必要になったのだ。
『造物主のご機嫌をとって、より多くの食物を得ようとするのは、彼らにとって筋の通ったことでした」と、彼は言った。「宗教が圧力となって、農業が発明されたのです』」


トノーニの統合情報理論など意識をめぐる議論にも新たな展開があるので、追いかけていて楽しいが、人類の歴史の研究もゲノム解析というアプローチを得たことで急速に科学らしくなっていて、まだ当分は新しい知見が期待できそうだ。何よりもやっていて楽しそうなのがこの考古学という学問の魅力だと感じる。