エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

利己的な遺伝子

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだ。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

1976年に出た初版から33年。利己的な遺伝子ミームといったキーワードはいつの間にか頭に入っているが、原本は未読だった。増補新装版というのが図書館の棚においてあったのでパラパラと見ると、結構脚注が充実している。ふーんと思って読みはじめたら意外と面白く読めた。ドーキンスはもともとエソロジストだけあって、生物界から絶妙の実例を拾ってくるのが実にうまい。S.J.グールドのポップさとは微妙に持ち味が違って、イギリス風ではあるのだが。

増補新装版への序文。
自然淘汰の単位として競合する遺伝子と個体の間の見かけ上の論争は解消されている。自然淘汰の単位には2種類があり、その二つの間に論争はない。遺伝子は自己複製子という意味での単位であり、個体はヴィークルという意味での単位である。両方とも重要なのである。どちらも軽視すべきではない。それらは二つの完全に異なる種類の単位であり、その区別を認識しない限り、われわれは、どうしようもなく混乱してしまうだろう」
いわば勝利宣言。「種の起源」からは150年らしいが、double helixの発見から23年で「利己的な遺伝子」という概念にたどりついたのは、さすがドーキンスは俊才だと思う。

ミームの概念の提示にあたって、こういう前置きを置いていたのは意外だった。ミームというのはドーキンスにとってはまじめな概念だったのだ。
「これから私が展開しようとする議論は、現代人の進化を理解するためには、進化を考える際に遺伝子だけをその唯一の基礎と見なす立場を、まず放棄せねばならないというものだ。−。私は確かに熱烈なダーウィン主義者である。しかし私は、遺伝子という狭い文脈に閉じ込めてしまうには、ダーウィニズムはあまりに大きな理論だと考えているのである。以下の私の主張においては、遺伝子は類推の対象としてしか登場してこないだろう」

ドーキンスはこの10年くらいに出た著作にしか目を通していないが(あー、知ってる知ってるという感じで)、その前の作品までさかのぼって読んでみようと思った。