エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

Quantum Monadlogy

川沿いのサクラがそろそろ見ごろで、午後からの雨にもかかわらず散歩する人が結構いる。川べりには菜の花も咲いている。

中込照明の「唯心論物理学の誕生」を読む。

唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決

唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決

唯心論と物理学の取り合わせに眉につばをつけながら読みはじめたが、十分OKな本だと思う。

著者は量子力学観測問題に強いこだわりがあり、既存のあれこれに満足がゆかず、量子力学にあわせて世界を作りこんでしまえばいいという発想に至ったらしい。ついでに、自由意志や意識、さらには時間の難題まで同じ解決策につめこんでしまう。

「システムの状態は波動関数によって表され、それはユニタリーな時間変化をなす。これが量子力学の第一の基本原理である。この波動関数は観測結果を確率的に決定する。ある結果を得たときには波動関数はその結果に対応する固有状態に収縮する。これが第二の原理である。量子力学はあらゆるものに例外なく適応されなければならないのであるから、観測対象と観測装置とを一緒にしたシステムに対しても量子力学は適用される。するとこのシステムの状態はユニタリーな変化をなし、状態の確率的な変化はありえないことになる。この二つの間の矛盾を解くことが観測問題の課題である」

観測問題については、結局のところ状態ベクトルが「何」の状態を表しているのか、あるいはそもそも量子力学は「何」についての理論なのかが言えないというところに問題の本質があるように思われる。言い換えれば、量子力学がその中で機能する世界モデルが欠如しているということである。量子力学は「すべて」に対する理論であるから、単に「量子系」を規定する条項を付け加えるだけでは不十分であり、世界モデルの構築が必要になるのである。
 相対性理論も含めて量子力学が「すべて」に対する理論であるとの観点に立てば、自由意志および意識、流れる時間としての「今」の問題に必然的に関わってくる。古典的決定性の世界モデルでは、これらは入る余地が全くない。 自由意志、意識、「今」はその存在が否定されてしまう。−
 これまでの量子力学相対性理論の解釈では世界モデルというものをあまり意識していない。意識していないということは常識的世界モデル即ち決定性の古典的世界モデルを暗黙のうちに使っているということである。量子力学相対性理論がまともに解釈できない理由はここにあると筆者は考えている。−
 そこでまずすべき仕事は意志、意識、「今」を可能ならしめる世界モデルを構想し、即ち「何が」を設定し、その上で、量子力学相対性理論を解釈する、すなわち、その「何が」が「どうなる」かを記述する理論として使う」

このあたりの違和感には覚えがある。状態ベクトルとは何だ。量子とは何だ。というあれである。ファインマン流に「量子のことは誰もわからない」と言われたときには説得された気になったものだが、それでもわからない感は残っていたので、この辺は「わかるわかる」という気持ちになる。

そこで、ライプニッツモナドに触発されて出てきたのがQuantum Monadlogyである。

著者の解釈によると、モナド説の要点は5つあるそうだが、特に最初の2つは大胆。

「1.世界はモナドより構成される。それ以外のものは存在しない。したがって、モナドを入れる空間も存在しない
2.空間はモナドの内部にあるだけであ。モナドはその内に世界を反映する(意識)」

モナドのたとえとして、複数のコンピュータを使った戦車ゲームを出してくる。コンピュータとプレイヤーの一組ずつがひとつひとつのモナドと読み換えられる。

モナド・モデルは、現代物理学が暗に否定している三つの概念、
自己同一性を持つシステム(モナド
流れる時間(各モナドが持っている同期した時計)
自由意志(各モナドによる飛躍枠の選択)
を初めから要素的な形で組み込んでいる」

さてそれが、数学的形式にのるかというのが見ものだが、付録についている論文を斜め読みすると、うまくいくらしい。

時間に関しても、Quantum Monadlogyはトリッキーなところから迫っている。
「Quantum Monadlogyの世界モデルでは時間を表すパラメータが出てこない。変化は時間パラメータによってではなく、代入式によって実現している。すなわち変数は常に”現在”の値を表している。物の状態変化の履歴を記述する研究においては代入式は不便であるが、”現在”が消えてしまう。物の現在を捉えるためにはこの方式によらねばならない。コンピュータの手続き型プログラムにおいて、代入式が用いられるのは変数が常に機械の現在の状態を表しているからである。モナドによる枠の選択は常に現在において行われるということを表現するために、代入式を用いるのである。この方式では時間パラメータは履歴表現のために後から構成すべきものとなる。時間パラメータは時空の4番目の座標軸というような物理的実在を表すものではない」

これはこれで説明になっているのだが、ここでアルゴリズムを出してきているのがひっかかった。コードの中身に飛躍演算子が入ってくるのは自然な話だが、アルゴリズムの中に超越的な話をいれると、アルゴリズムが超越的に振舞えるというのはありなんだろうか。「そうはいかんよ」というのがゲーデルペンローズが熱弁をふるったところではなかったか。やはり時間論は難しい。