エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

ダーウィニズムという万能酸

冬休みの前に、生協の本屋で「心は遺伝子の論理で決まるのか」という本を見つけ、どうも気になって買ったのだが、そのままになっていた。しばらく前から読み始めたら、最初の方で、やたらダニエル・デネットの「ダーウィンの危険な思想」に言及している。どうもそれが気になって、図書館で借りて読み始めたが、何しろ700ページの大冊の上に、話の持っていき方に独特の癖があって、前半は結構手こずった。目次で見ると、後半で1章割いてペンローズの「皇帝の新しい心」を論破している様子だったので、とにかくそこまでは読んでみようと思っていたら、後半はだんだん面白くなって、最終章は「これが書きたかったのか」とじーんと来た。

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

とにかく切れ者という評判の「心の哲学」者ダニエル・デネットにとっての「ダーウィンの危険な思想」とは、「デザインは、先在している精神に訴えなくとも、ある種のアルゴリズムのプロセスを通して、ただの秩序から生じることができるのだ」とするものである。「懐疑論者は、少なくともこうしたプロセスのどこかでは、援助の手ーいささかのリフティングを行うスカイフックーが差し伸べられたに違いないことを証明したいと願ってきた。ところが懐疑論者は、スカイフックの役割を証明しようとして、かえってクレーンをしばしば発見してきたのだ。」

ここを出発点にして、デネットは、生命の系統樹全て、言語、そして心の誕生は、スカイフック(=神の助けのようなもの)がなくともどこまでも説明可能だということを論証しようとする。

その過程で、S.J.グールド、チョムスキーペンローズという大物に対して「スカイフックを求める者たち」というレッテルを張って、いちいち論破していく。

デネットのその執拗さの狙いは以下にある。
ダーウィンの思想が、眼に見えるもの一切の核心にまで食い込むことのできる一つの普遍的な溶剤もしくは解決であることは間違いない。問題は、その後に何が残るかだ。私が示そうとしたのは、それが一切に浸み透った暁には、私達の最も重要な思想の、これまでよりもっと強靭で健全なヴァージョンが、私達の手元に残されるということである。そうした思想的伝統の細部には、跡形もなく消えうせてしまって残念に思われるものもあるにせよ、残されたもの全体にとっては、それらはむしろ厄介払いにしかならない。それだけ残れば、基盤としては十分以上である」

そして、最後の3章で、ダーウィニズムという万能酸により、徳性をデザインし直すこと、倫理学を自然化することは可能かという問いを立てて、ある種の<状況倫理学>の可能性を展望する。「人類は道徳的に進化することができるのか」というのは、私自身も折に触れ考えることだが、その点をこういう形でストレートに押してくる本だとは予想していなかった。それが、最後でじーんと来た理由である。本を読んでいろいろ考えてみたい人にはおすすめ。