エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

崖っぷち弱小大学物語

杉山幸丸の「崖っぷち弱小大学物語」を読む。

崖っぷち弱小大学物語 (中公新書ラクレ)

崖っぷち弱小大学物語 (中公新書ラクレ)

杉山幸丸は元京大霊長類研究所の教授。退官後、東海学園大学人文学部長として新設学部の立ち上げに奮闘した4年間の記録が本書だ。いわゆる研究中心大学(授業はほとんどなく院生の面倒をみる程度)から本人いうところの崖っぷち弱小大学に異動したところから話は始まる。数字としては大学全体の3分の2以上が崖っぷち弱小大学に分類される。

私もそろそろ独立を考えていて、もろもろ考えると研究中心大学は難しく、行き先は、教育が中心の大学になるだろうと思っているところなので、わが身にひきつけて読んだ。

「学生はあなたの鏡である。もちろん、あなたは学生の鏡だ。鏡を見、その態度を正しながら学生を、そして自らを磨く覚悟がないのなら、これからの弱小大学の教員としては完全な不適格者だろう」

「教師とは教育だけでなく研究を通じても生き方そのものを伝達する、つまり若者達に夢を持たせる職業なのだ。だから、自分の研究を持っていることは大学教員には必須なのである。しかし厄介なのは教育も研究も形に現れないところで大きな努力が払われ、しかも良い結果が出るとは限らない。大学経営者が教員に対して研究するための十分な時間を与えず、教育の基盤を作る研究に注がれるエネルギーが局限されると、大学教員は担当授業コマ数で稼がせられるだけの肉体労働者と化していく。三年前とまったく同じ講義でも学生にはその区別がすぐにはわからないのだ。教員自身がそれでよいのだと思い始めたら、これは大学教育の崩壊である」

杉山先生は90分授業を週5.5コマこなしているそうである。授業のない完全研究日は週一日で、ほぼ全部を授業の準備にあてているという。退官後ならそれでもいいのだろうが、若手教員が週5コマの授業をこなしながら科研費がとれるような研究ができるものだろうか。どうにもうまくイメージがわかない。

「私は長年大学に所属し、自然科学の研究に従事し、多少は世界の同業者にも求められる成果を挙げてきた。そして現職に移った。そして感じたこと。それは、私のこれまでのキャリアなどは学生達にとって何の値打ちもないということであった。私にとって大事なのは、どうやって学生達にやる気を起こさせるかである。知識が増えることは、勉強する事の苦しさを乗り越えることは、単位を取るということ以上に大きな喜びにつながるすばらしい気分が味わえる事なのだと、頭と体でわからせることである。自然や社会で起きているさまざまな現象間に、相互の関連があると気づかせること。現象の表面だけでなく、その流れや周囲の環境を見ることによって理解が深まる事。何かに集中して一つのことをまとめあげる快感は、そこに達するまでの苦労を吹き飛ばすほど大きい事、等々。そんなことを理解させる事である。少しだけ背伸びしてみようと思わせることである。自分にはとてもそんな能力はないと思いながら、私は試行錯誤の日々を送っている。こんな大事業にどっぷり浸るには、まず、自分のささやかな「専門」などかなぐり捨てるところからはじめなければならないだろう」

教育中心大学の教員になるのは相当の覚悟が要りそうである。まあ器以上のことはできないので、頑張りすぎるつもりはないが。