茂木健一郎の「思考の補助線」を読んだ。
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/02/01
- メディア: 新書
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茂木健一郎氏とは多少の縁がある。私が卒業した物理学科には生物物理系の研究室が3つあった。茂木氏はそのうちのWB研の出身で、私はWD研の出身である。歳は彼の方が一つ上だが、彼は学部を出た後、2年法学部にいて物理の大学院に戻ってきたので大学院での学年はこちらが一つ上になる。生物物理系研究室での忘年会くらいでしか顔をあわせることはないので、具体的な接触はないが、確か修士課程の時に、茂木氏が「月に行けたら何をするか」という懸賞論文で最優秀賞をとり百万円の賞金をもらったというニュースが流れてきた。「ふーん、こんな身近に筆が立つ奴がいるんだ」と思った覚えがある。その後、「脳とクオリア」
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 1997/04/24
- メディア: 単行本
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面白かったのは下記の一節。
「人生は無限が有限に転化していく過程である。私たちの意識の中で、「無限」は必ず可能無限として感じられているのであって、そこではいまだ用途が指定されない空白が死活的に重要な役割を果たしている。―現代の脳科学において、感情は不確実性に対する適応戦略であると考えられている。―感情の扱う不確実性は、時間の流れと深くかかわっており、その意味では感情は「空白」ないしは「可能無限」を扱う技術である。ここにこそ、感情の問題のみならず、時間の流れの本質、そして意識の謎を解き明かす鍵があることは疑いない。」
昨日の「時間はどこで生まれるのか」と考え合わせると、やはり時間と意識の問題は深く結びついているというのは、静かに広く受け容れられている直感のようだ。
この本では茂木氏は、知の全体性を求めて(全てを知り尽くすことを求めて)何度も咆哮している。たとえばこうだ。
「知の全体を見渡すことはもはや不可能なのだろうか?一人ひとりの人間は人類全体が運営している「エクスパートシステム」の部品として、あるいは「グーグル」で検索されるべき知のアーカイブの部分担当者として、その職分を全うすることしかできないのだろうか?」
この感情には強く共感する。一方で梅田望夫のウェブへの楽観論に強く惹かれるのはなぜだろう。