エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

ペンローズの<量子脳>理論

昨日の学会でのトークは割りと反応がよく、気分良く晩御飯に出かける。

渋谷のハチ公前で年下の友人と待ち合わせて(ハチ公の角度が以前と90度違うような気がするのだが、単なる記憶違いか)、パルコの近くのせいろ蒸し屋に入る。豚肉のせいろ蒸しを白ワインで食べる。あっさりして美味しい。食が進む。

友人は私立大の薬学部に勤務しているので、私立大の状況などいろいろ情報を仕入れる。気のおけない友人と美味しい物を食べるほど楽しい時間はないと思う。友人のところに子供ができたらしいということで、ご祝儀代わりに勘定を持つ。1万1千円くらい。3時間半もいたし、たらふく食べた割には随分安いと思った。

往きの新幹線で読んだ「ペンローズの<量子脳>理論」。

「皇帝の新しい心」と「心の影」を読んでおけばこの本は割りと気軽に楽しめる。それに加えて竹内薫茂木健一郎の解説が充実している。茂木健一郎ケンブリッジ時代の生活が伝わってくるのも面白い。

「物理学の未解決問題とは、時空の特異点量子力学観測問題、量子場の理論の無限大の3つです」

(ひも理論を擁護して)「よく、実験も計算もできないと批判されるが、ブラックホールの両氏状態を具体的に数え上げてエントロピーを第一原理から計算できた理論は、今のところひも理論以外にない」

竹内薫)「ゲーデル不完全性定理は、論理ではなく、理論についての定理である。ゲーデルは、理論と言うものは不完全だと言っているのであり、論理が不完全だ、とは言っていない」
「日本語や英語と同じで、数学言語においても、真と証明可能とは微妙にズレている。このズレを厳密に証明してみせたのがクルト・ゲーデルであった。
数学における「完全」の低後は、「真なる命題は、必ず証明可能だ」というものだ。つまり、意味的に正しければ構文的にも正しいのが完全な数学理論というわけだ。もしも、真だけれど証明不可能な命題が存在すれば、もはや完全ではない。すなわち、不完全ということになる」

「意識というのは、何か別の存在です。それは部分の寄せ集めではなく、一種の大局的な能力で、おかれている全体の状況を瞬時にして考慮することができる。だから、私は意識が量子力学と関係すると考えるのです。
量子力学でも、意識に似たような状態があるのです。大局的で、それ自体で存在していて、こまかい部分の結果ではないような状態が」
量子力学には根本的に欠けているものがあるわけだから、それを完成するためには、現在の理論にはない何かが必要です。そこで、私は、「非計算的な」要素を付け加えるというのは、それほど悪い考えではないと思うんです。
もちろん、現時点では憶測にすぎません。ですが、そのような方向が正しいと信じる十分な理由があると思います。つまり、私の考えは、意識を説明するには量子力学が必要だということではないんです。意識を説明するには、量子力学を超える必要があるんです」
「私自身のアイデアの中心になるのは「計算不可能性」です。現在知られている物理法則はすべて計算可能なタイプです。つまり、私たちは、現在の物理学の描像の外側に行かなければならないのです」

「しばしば、ゲーデルの定理は、人間の証明できない定理があることを意味すると考えられていますが、そうではないんです。ゲーデルの定理が証明していることは、私たちは常に新しいタイプの理屈を探し続けなければならず、ある一定の、固定したルールの集合に頼る事はできないということだけです。
洞察力さえあれば、すでに存在しているルールの外にでて、新しいルールを見出す事は可能です。そして、このような洞察力を、実際私たち人間は持ち合わせています。ですから、私が言いたい事は、人間の知性にとって到達できない真理などないということです」

茂木健一郎)「私は、量子力学の収縮過程が、決定論的な法則で書けるというヴィジョンこそ、将来にわたって最もエキサイティングで深遠な可能性だと付け加えた」

「意識的な思考は、他にどのような性質を持つかは知らないが、とにかく非計算論的であることは間違いないという結論は、ゲーデル不完全性定理からの演繹によって導かれる。そして、この結論は、一見小さく見えるが、実は恐ろしく価値のあることを示唆しているのである。それはすなわち、少なくともある種の意識的状態は、それに時間的に先立つ状態から、アルゴリズム的プロセスによっては導かれないということである」

茂木健一郎)「ペンローズの議論は、非常にクリアカットだ。簡単に言ってしまえば、
コンピューターには、計算可能なプロセスしか実行できない。
意識は計算不可能なプロセスである。
したがって、意識はコンピューター以上のことができる
ということになる」

ペンローズに関心があるのは、量子力学、特に波動関数の収縮の過程が計算可能なプロセスか、計算不可能なプロセスかということなのである。そして、ペンローズは、その直観に基づき、波動関数の収縮は、計算可能なプロセスだと主張する。そして、意識の本質は、量子力学における波動関数の収縮過程が計算不可能であることと関連しているとするのである。さらに言えば、ペンローズは、県境から孤立した系の波動関数の収縮は「決定論的だが計算不可能な」プロセスだと考えている」

ペンローズが、意識に量子力学が関わっているとする根拠は以下である。
意識には計算不可能なプロセスが関わっている
古典的法則には、計算不可能なプロセスは含まれていない(カオスは?非線型系は?)。一方、量子力学波動関数の収縮には、計算不可能なプロセスが含まれている可能性がある
他に計算不可能なプロセスがある可能性がないのだから、意識には量子力学が関わっていなければならない」

量子力学を完全に理解したと言えるのは、私たちが、量子力学を含む新しい理論を構築し、その枠組みの中で現在の量子力学の限界をはっきりと把握したときだ。量子力学を超える新しい理論を手に入れて、はじめて私たちはミクロとマクロの感化栄や、波動関数の収縮など、今の量子力学があいまいにしていることの本当の意味を理解するだろう」

ゲーデルの定理の本当の意味(スティーン流の)を聞いて、私は狂喜乱舞したものだ。なぜなら、そのような心配(真な数学的命題でありながら、原理的に人間の理性が近づく事ができないものがあるという心配)は無用であることが判明したからだ。ゲーデルの定理は、人間理性の限界ではなく、むしろ人間の理性が事前に用意された形式的規則のシステムに制限されないことを示していたからだ。ゲーデルが示したのは、(規則自体が信頼に足る場合)いかにして、その規則体系を超える事ができるか、についてであった」

ペンローズは、現存の最大の物理学者かもしれない。少なくとも構想の自在さと勇気においては、傑出しているのは間違いない。21世紀の物理学を見られることは最大の純粋な楽しみの一つである。長生きしたい。