エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

クロード・シャノンとその伝説

庭の鉢の赤い花が咲いていて、そろそろ晩夏になるのかと思う。


ジョン・ガードナーの「世界の技術を支配するベル研究所の興亡」を読む。

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡


今日、マイクロソフト、アップル、グーグルを知らないエンジニアはいないはずだが、それら全ての原点にあたるベル研究所についてはっきりしたイメージを持っている人は日本にはかなり少ないのではないか。トランジスタが発明されたところであったり、宇宙背景放射を観察したペンジアスがいたところ、あたりがいいところではないか。私もその範疇に入るので、この本を読んで驚かされることが多かった。

まれに見る良書だと思うが、一番記憶に残りそうなのは、クロード・シャノンとはどういう人かということだろう。

後書きにあるように、クロード・シャノンには本格的評伝がないそうである。私も入口を間違えた口で、シャノンの仕事はフォン・ノイマンの仕事の脚注のようなものだ程度の感覚だった。恥ずかしいことだ。

トランジスタの場合、ベル研究所でショックレーらが発明していなかったとしても、遅くとも2−3年以内にはアメリカかヨーロッパのだれかが創り出していたはずだ、と発明した本人たちですら認めている。だがシャノンの衝撃的な情報理論は、ある学者の言葉を借りれば、『一人の人間がある分野を創設し、主要な結論をすべて述べると同時に、それが正しいことを証明してしまった』という点において、歴史上まれにみる偉業である。後年の数学者が議論したのは、シャノンが時代の先を行っていたのかではない。時代の20年、30年、それとも50年先を行っていたのか、だ。」


最近、材料に興味を持っている。より正確にいうと化学や固体物理学(凝縮系物理学)寄りの興味かもしれない。現象論的すぎる気がしてどうも敷居が高かったが、そういうのに慣れてきたせいか、最近は結構感心して話を聞くことができるようになったと思う。

「しかし厳密にいえば、技術の発展をもたらしたのは材料の世界における静かな革命であった。新たな材料がなければ―新たな化学的手法によって生み出された材料や、才能ある冶金学者によって超高純度の状態に仕上げられた希少もしくはありふれた材料がなければ―この時期(1940年代と1950年代)の物理学における数々の発明は起こらなかっただろう。ショックレーも精緻な理論の世界に閉じ込められたまま一生を送ったかもしれない」

「レーザーは単一の発明ではない。1960年代に怒涛のように起きた数々の発明の産物である。重要な改良(新たなデザインなど)や応用(新たな媒質を使うなど)が矢継ぎ早に生まれた」


もうひとつ印象に残ったのはこのくだり。ここに出てくる話は思い当たる人は多いと思うが、これを常時やり続けるのは途方もないことで、いかにマネージャーとしてのマービン・ケリーができる人だったかがわかる。

「文中でピアースは、ケリーの際立った特徴を一つ挙げている。ベル研究所でまったく新しい研究に取り組むことになった研究者たちへの<指示の与え方>だ。対象が軍事用レーダー技術であろうと、AT&Tのための固体物理学の研究であろうと、ケリーは<すでにわかっていること>をプロジェクトの出発点にしようとはしなかった。<まだわかっていないこと>を中心にプロジェクトを組みたてようとしたのである。それは困難で、直観に反するやり方だったとピアースは説明している。少なくとも軍事産業においては、技術的に可能なところから出発し、足りない部分を後から埋めるというアプローチの方が一般的だ。それに対し、ケリーの手法はたとえるなら『まずパズルの中で欠けているピースを特定しろ。それからパズルにとりかかれ』というようなものだった」