今朝は涼しい風で目が覚めた。久しぶりに近くを散歩する。秋らしく雲が高くにかかっている。
ブライアン・グリーンの「隠れていた宇宙」を読む。
- 作者: ブライアン・グリーン,竹内 薫,大田 直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/07/22
- メディア: 単行本
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ブライアン・グリーンのポピュラーサイエンス本の3作目は、多宇宙である。
取り上げられるのは、パッチワークキルト多宇宙、インフレーション多宇宙、ひも理論から出てくるプレーン多宇宙とサイクリック多宇宙とランドスケープ多宇宙、量子多宇宙、ブラックホール理論から出てくるホログラフィック多宇宙、シュミレーション多宇宙、究極の多宇宙(数学宇宙)とまことに多彩。これまでのグリーンの本と少し違うのは、後半4分の1くらいがかなり思弁的な内容に踏み込んでいることだ。リアリティ(実在)をとことん考えていくと、物理的立場であってもそこにいかざるを得ないことが説得力を持って語られている。「思考の成分」「実在の根源」「多宇宙は科学的説明の本質にどう影響するか」「数学を信じるべきか」などの小項目が出てくる。
グリーンの立場ははっきりしている。
「私たちは慎重に、体系的に事を運ばなければならない。しかし多宇宙が私たちを袋小路に導く可能性があるからと言って、それに背を向けるのは、同じくらい危険だ。そうしてしまったら、私たちは現実に目をつぶることになるだろう」
多彩な材料の中で個人的に一番感心したのは、エヴェレットの量子多宇宙仮説をごく自然な仮説として描き出している点だ。量子測定の解釈についての例の問題について、多くの本は量子多宇宙をある種の奇説として書いているが、この本でグリーンは、エヴェレットの確率が「主観的レベルで再び現れる」というアプローチを梃子にしてそれなりに納得できる説明をしている。
「<多世界>について学んでいる人だけでなく、ある程度知っていたひとでさえもたいてい、この考えが突拍子もない空論から出現したのだという印象を持つことが、私にはわかっている。しかしそれはまるで見当違いである。<多世界>のアプローチはある意味で、量子物理学を定義する枠組みとしてもっとも保守的であるのだが、それはなぜかを理解するべきである」
「確率は、住人それぞれの主観的経験を通じて入ってくるのだ。−−確率を取り入れるこのやり方は、エヴェレットが「客観的には決定論的」で、確率が「主観的レベルで再び現れる」と表現している彼のアプローチと響きあうものがある」
ベイズ確率をかじりはじめて、確率がだんだんカラフルなものに感じられるようになったので、このあたりの議論は大変面白い。S先生に言わせると「ベイズ統計を勉強したらばんばん仕事が進んで論文がでるようになった」という話で、確かにそういう匂いはするが、なかなかそこまでは道遠しだ。
あとは、波動関数が直接測定できる(波動関数は仮構ではなく実在する)という最近の話について、グリーンの意見を是非聞いてみたい。
議論の火花が飛ぶ現場に興味があるならば、ランドスケープ多宇宙が読みどころだろう。
「私は四半世紀のあいだひも理論に取り組んでいるが、ひも理論のランドスケープとそこから生じうる多宇宙関連の議論ほど、感情が高ぶり、表現が辛らつになるのを見たことがない。理由は明白である。この主題を、科学の本質をめぐる戦場と考える人が多いのだ」