エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

経路積分から出発する

庭のクレマチスが大輪の花を咲かせている。木々の若葉も伸びてきて、5月も半ばだと感じる。


吉田伸夫の「明快量子重力理論入門」を読む。

明解量子重力理論入門 (KS物理専門書)

明解量子重力理論入門 (KS物理専門書)

量子重力理論の二大潮流であるループ重力理論と超ひも理論の至るまでの道のりを量子論の基本原理からくりこみを経て、数式で連れて行ってくれる名著。このレベルの本が日本語で読めることに感謝したい。


個人的意見ではこの本の議論の見通しがよくなっているのは2つある。1)場を対象とする量子化経路積分から出発するのが一番すっきりする(見通しがよくなる)という立場を徹底して、そこに至るまでの最小作用の原理から書いている点、2)くりこみの説明を数式できちんとしているので、それが量子重力にいこうとすると破綻することが具体的に納得できる点である。

「初歩的な粒子の量子論の場合、シュレディンガー方程式に従う波動関数を使って量子ゆらぎを表すことが多い。しかし、波動関数による記述は、粒子の運動には適していても、量子重力理論のように場を対象とする場合には向いていない。そこで本書では、量子論に移行するに当たって、ファインマンが開発した経路積分の手法を使うことにする」
ついこの間、「現代物理学における経路積分の重みをしみじみ感じた経路積分の手法を使う」ことにした場合について書いた本を読んだだけにこのあたりは特に納得できる。
http://d.hatena.ne.jp/tnakamr/20120318/1332029508
また、ファインマン自身の「光と電子の不思議な理論」はとても良い本だが、こうやって場を対称とした量子化を数式で示したものをみせられると、その威力がよくわかる。

電磁気学の場合、マクスウェルの理論と量子論は長距離の極限で結びついている。言うなれば、マクスウェル電磁気学をベースにして量子ゆらぎのスイッチを入れると、そのまま量子電磁気学に移行する。ところが、重力はそうではない。アインシュタインの理論に量子ゆらぎを加えると、長距離での振る舞いがアインシュタインの理論とは全く異なったものになってしまう。くりこみ可能な量子電磁気学では、くりこみのスケールを変えると電荷や質量のような結合定数の値だけが変化して相互作用の形は同一のままだったが、量子重力理論はくりこみ不能な理論であり、こうした連続的な変化をする有効場を定義することができない、ここに、量子重力理論を作る上での困難が存在する」
「摂動論による補正をそのまま計算すると発散が生じる図形はこのほかに無数にあるが、電荷eと質量mとして測定される値を用い、そこに含まれる補正を二重に計算しないようにすると、全ての積分が有限になることが数学的に証明できる」

くりこみについての説明が明快な本はほかにもあるが、それがその後の展開においてどういう長所と短所を持つかを書いた本はあまりお目にかかったことがないので、そこをはっきり書いているのは素晴らしいと思う。


簡単に言ってしまえば、量子重力理論の難しさは以下の点にあるのだが、どうも大学で物理を勉強すると、量子力学といえば波動関数と思ってしまうので、ブライアン・グリーンの本などを読んでもそのあたりがぴんとこなかったが、経路積分で考えれば随分見通しがよくなる。
量子論とは、物理現象が方程式の厳密な解になるのではなく、解の周囲に量子ゆらぎが存在する理論である」
「方程式が厳密に成り立つかどうか、あるいは、量子ゆらぎが存在するかどうかという点で、一般相対論と量子場理論は質的に異なっている。両者を包含する理論がなかなか作れないのは、そのせいである」(補記:量子場理論の方が本質的であるというのは、吉田氏の強調するところだし、大学院レベルの物理の専門課程ではそうなっていると思う。物性論などでの実験物理の方ではまた微妙に違うようだが)


ループ重力理論と超ひも理論についても著者の解析は明晰でその例を2つ。

「格子理論では、格子状に離散化することによって空間に最小の要素を与えたが、これでは、座標変換に対する不変性が失われてしまう。そこで、空間の自由度そのものを制限する代わりに、座標変換に対する不変量であるループ定数の状態を大幅に制限することによって、座標変換に対する不変性を維持しながら、結果として空間を制限するのと同じ効果をもたらしたのである」

「重力を含んでいるとされることから、超ひも理論は、量子重力理論の最有力候補と目されている。ただし、一般相対論のように、単純な原理から重力の法則を導き出したわけではない。あくまで、超ひもの励起状態としてスピン2、質量ゼロの素粒子が存在することをもって、重力の法則が再現できると主張しているだけである」


十分すぎるほどの名著。ただし、個人的な感想として、時間の物理的扱いが幾何学的に行き過ぎていて物足りない。また、経路積分で全てを語っていて、不確定性原理も著者の立場では第一原理から導かれる”系”という位置づけなので、あれやこれやの量子論を基礎づけるための哲学もどきが切って捨てられているのがやや不満といえば不満。たぶん著者からすると、数式で表現できない議論は哲学であって、それは物理学にとっては便法か、さもなければ言葉を借りるのに便利なツールという意識なのだろう。こういう本をみせられるとそれもまたよし、という気になる。(補記:生粋の物理屋にすると、哲学の有用性は『言葉を借りてこれるところにある』のだと交差点の奥にある鮨屋で言われて、ああそんなものかと思ったことがある)