エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

移行期的乱世の思考

GWなので、家族で神保町にでかけて三省堂本店を上から下まで歩く。子供達を「とんき」に連れていく。上の子がご飯がおいしいといって喜んだ。


平山克美の「移行期的乱世の思考」を読む。

移行期的乱世の思考

移行期的乱世の思考

良書である「移行期的混乱」の続編という位置づけだが、「この時代をどう生きるか」についてここまで明晰に述べている本はめずらしい。
http://d.hatena.ne.jp/tnakamr/20101114/1289709499


平山克美の主張は「縮小均衡」を目指すということである。理由は「世界的な総需要の減退」である。
この本の中で何度も述べられているように、資本主義(株式会社)は、資本家が金を増やすために投資するところからはじまるので、成長が絶対条件となる(縮小するとは、投資した金の価値が下がることで、それを前提にするとそもそも投資する人がいなくなるのは当然だ)。

したがって、「縮小均衡」を目指すとは資本主義的(特にグローバル資本主義的)でない生き方を成立させるということで、場所場所での小商いといったことがイメージされる。あるいは「飢饉のない江戸時代」という言い方もある。

「世界的な総需要の減退」とは、つまりもうフロンティアはないのだ、ということだ。科学者は生き方としてフロンティアの存在を信じているし、実際に私も「まだまだフロンティアはある」と感じる。これはつまり、生活者と科学者の意識が危険なところまで乖離しているということだろう。にもかかわらず、科学者は「基礎科学こそ産業に貢献する。成長に必須である」という論理を常に掲げて予算獲得に励む。こういったことも「研究倫理」としてきちんと議論すべくことだと思う。

ここでまた、江戸の文化のことを考えてよい。縮小均衡は文化の不毛を意味しない、という仮定のもとに、社会における「科学を含む文化」のそもそものありようを考え直すことは可能だと思う。それは次の世代に引き継ぐための課題のうち、重要なもののひとつだろう。

「そこで、国民経済という視点に立ったときに、何が一番重要かと考え、雇用だと断言したのが下村さんだった。安定的に国民経済を進めていく必要条件は、成長ではなく、雇用だということなのです」

保護貿易に立ち戻り、非効率的ではあっても必要な産業を残すことで雇用を守り、技術や、生産文化の「溜め」を生んでいる産業を育成していく。っして、拡大しなくてもやっていけるだけの自給率や雇用をきちんと確保するように方向づけていく。まあ、それを極端に推し進めた政策が「鎖国」ですね」