エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

最終講義

今日は朝から研究室の大掃除。赴任以来手つかずだった前任、前々任の先生方の不用品を整理してかなりすっきりする。慰労会でピザを食べながら、「今日は学生さんもいい顔をしている」と思った。


内田樹の「最終講義」を読む。

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

師匠のレヴィナスの本はまことに難解なのに、内田先生の本(特に今回は講義録だけに)はなぜこうも「ああこういうことだったのか」とはたと膝を打つころが多いのだろうかと不思議だ。合気道を極めると、そういう間のとりかたがわかるようになるのだろうか。


「『先天的に頭のいい子供』というのはいます。たくさん、います。何の努力もしないのに、人間技とは思えないような知的アクロバシーを演じるので、「神童」と呼ばれたりする。でも、天賦のその知力も、磨かずに放っておくと、いずれ機能を停止する。ぴかぴかに磨き上げて、オイルを差して、消耗品を交換して、いつキーを回しても機嫌よく「ぷるん」とエンジン音を上げてくれるように、細やかな手入れをしておかないとダメなんです。そして、そのためには「アカデミック・ハイ」にアディクトしていることがどうしたって必要なんです。自分の知性が最高の状態にないことに、空腹や渇きと同じような激しい欠落感を覚える人間だけが、知性を高いレベルに維持できる」
全く同感。ただこういう状態を保つためにはそれなりにストレスの少ない環境が必要で、それが(一般的研究者には)年々難しくなっているのも誰もが認める事実であり、そのあたりはどうしたものか。


「教育立国というのは、日本にとって得るものが最も大きいものだったんです。環境も破壊しないし、お金もかからない。だって、「空気」なんですから。知的な達成を尊ぶ、知的なイノベーションに対して素直なリスペクトを示すという振る舞い方のことなんですから。そういう振る舞いの意味を、教育行政の要路の人が少しでも理解していれば、こんなことにはならなかった。ですから、僕は残念でならないのです。今のままでは教育立国の道筋はもう不可能です。文科省が今からせめて20年前にこのことに気づいていれば、今頃日本は東アジアの知的センターになれていたはずなのに、その機を逸した」
「教育はビジネスではない」ということが内田先生が言うとこうも納得できるのに、カリキュラム編成というと、入り口出口の議論になってしまう。少しは正論を言いたい。


「そのとき、外で嵐が荒れ狂う暗い体育館で腕組みしながら、誰も来ない畳の上に坐っていた時に、僕は覚悟したんです。人に教えるって、多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、こちらが「教えたい」と言ってはじめた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければならない。そう思ったんです。誰かが扉をあけてこてくれるまで、待っていなければならない。畳をしいて、準備体操をして、呼吸法もいて、いつでも稽古できるように備えていなければならない。それが「教えたい」と言った人間の責任のとり方じゃないか、と。そのときに、教育というのはたぶんそういうものだろうと思ったのです。27,8歳の頃でしたが、それが僕のなかの起点的経験としてあるのです。その気持ちは今でも変わっていません」
このあたりは人の差もあるだろうし、研究優先、教育優先の違いもあるだろう。それでも文化を(自分がしてもらったように)次の世代に引き継ぐために、自分の「教えたい」ことを、できるだけ自分を曲げずに語ることが「責任のとり方」だろうと納得がいく。もっとも私は単純に「恩返し」と考えた方が気が楽なのでそう思うようにしている。