エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

情理を尽くして語る

内々定祝いで近くの中華料理屋で会食。それにしても暑い。


内田樹の「街場の文体論」を読む。内田樹の「書くこと」についての最終講義。共感することしきり。


「情理を尽くして語る。僕はこの『情理を尽くして』という態度が読み手に対する敬意の表現であり、同時に、言語における創造性の実質だと思うんです」

「僕はそれを『内向きの言葉』というのです。それがどうしても知性の本質とは相容れないような気がする。
それとは逆に、『外に向かう言葉』にはその適否や品質について数値的な評点を与える査定者がいません。というのは、それは採点者の前に提出された『答案』ではなく、できるだけ多くの人間に届けたい『メッセージ』だからです。求めているのは精度の高い評価を得ることではなく、できるだけ多くの人に受信され、理解されることだからです。
僕は、言葉はそのような条件においてしか生成的になることはないだろうと思います。『情理を尽くして語る』言葉、受信者の裾にすがりついて、『お願いだから、オレの話を聴いてくれ』という懇請の言葉だけが『外に向かう』ことができる。僕はそう思います」

書くこと、語ることとはまさにこういうものだと思う。一方で、受験秀才ほど以下のように自分を鍛えてしまう。それは大学に入れば終わるわけでなく、優秀であればあるほどその方向性にどんどん長けていく。場合によってはそのまま社会にでてしまう。


「出題者の頭の中にある模範解答を予想して、それに合わせて答えを書けばいいというシニックな態度は、受験勉強を通じて幼い頃から皆さんの頭に刷り込まれている。ずっとそういう訓練を積んできたせいで、皆さんのほとんどは大学生になった段階では、文章を書く力を深く、致命的に損なわれています。残念ながら」

「君たちが閉じ込められている檻というのは『評価の檻』なんです。何かを書くかよりも、それに何点がつくか、ということが優先的に配慮される」

「たしかに精度の高い査定をしてもらおうと思ったら、できるだけ多くの人がすでに踏み込んでいる領域で仕事をするのに如くはない。でも、それは本質的なところで学問の本道から外れているのではないか。権威のある人に客観的で正確な査定をされることを願うマインドと、イノベーションということは、相容れないと僕は思います」


ではどうしたらいいのか。ウチダ先生の答えは明快である。

「『知りません。教えてください、お願いします』。学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまでそぎ落として言えば、この3つのセンテンスに集約されます。自分の無能の自覚、『メンター』を『教える気』にさせる礼儀正しさ。その3つが整っていれば、人間は成長できる。一つでも欠けていれば、成長できない」

「自分の『立場』が分かっている人、自分の『分際』が分かっている人、自分がどういう局面で、どのような責務を果たすことが期待されているかが分かる人が『大人』です。『立場』も『分際』も『身の程』も、空間的な表現です。自分がどこにいるのかを鳥瞰的に見られる人間にしかそれはわからない。社会的成熟というのは、単に身体が大きくなるとか、知識があるとか、有用な技術を身につけているということではありません。同期できる他者の数が増えたことによって。
上空から『自分を含む風景』を見ることができるようになることです」


一方で、ウチダ先生の示す以下のような社会認識はわかるようでもあるが留保したい。ウチダ先生は平川克美の「移行期的乱世」という言葉を引いて形を示そうとするが、私には実感できない部分がある。システムの中にいると見えないものがあるということだろうか。

「日本は2000年から下降して、2009年からV字回復を遂げた。これは世情の変化と何らかの関係があるはずです。今の推論を当てはめると、日本でも若い世代は、社会が変わりつつあるということに気づいている。ただ、どの方向に、どう変わるのかについては、誰も教えてくれない。新聞もネットもTVも、あるいは周りの大人に訊いても、これからいったい日本はどうなるのか、誰も知らない。答えられない。わかったようなことを言っていても、実はわかっていないことがわかる。こめかみに青筋を立てて、『もう日本は先がない』とか『崖っぷちだ』とか言っている当の本人がただ恐怖しているだけだということがわかる。自分で勝手に設定したタイミリミットに押しまくられて、浮き足立ったまま政策決定を急かすような人間が『十年後の日本がどうなるか』について適切な想像力の行使をしているということはありえない」

「雇用状況が悪いというのはおかしい。だって、何だかんだ言っても、日本はまだ世界第三位の経済大国で、一人あたりのGDPなんて世界トップクラスにいるわけです。すごく豊かな国なんです、お金もいっぱいあるし、富裕層はいっぱいいるし、いくつかの企業は莫大な収益を上げている。でも、どうして雇用環境が悪いのかというと、それは不況のときに、人件費カットして、利益を上げた記憶が残っているからです。そのとき味をしめた。収益を上げる方法を他に何もつかない経営者はとりあえず採用条件を悪くして、高い能力があって賃金の安い労働力をこき使って利益を出すという方便に逃れた。不自然なシステムなんですが、『長引く不況のせいだ』と言えば、個人責任は免れることができる。全部『不況のせい』に丸投げして、雇用環境を好転させるための企業努力を怠っている」

若い人たちを話をする立場として、こういったことをきちんと考えておきたい。