エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

未来予測をわらえ

研究室の大掃除と忘年会が終わり、今日の昼までに年賀状も済ませて、遅ればせながら新年を迎える気分に転換です。


久しぶりに小飼弾さんのブログを見たところ、新著(数学者の神永さんとの共著)の話が出ていた。checkしたら面白そうだったので注文したところ、大当たりだった。年末にいいものに出くわしたという感じ。

未来予測を嗤え! 角川oneテーマ21

未来予測を嗤え! 角川oneテーマ21


数年前から小飼さんのまあまあいい読者で、神永さんについても「食える数学」を楽しく読んだ覚えがあったが、その組み合わせがここまで面白いというかすごいことになるとは思わなかった。帯は「統計、ビッグデータに騙されない いま最強の理系講義」。中身を知ってみるとこの帯はとてもしっくりくる。

特に神永さんは大学教員なので、同じ立場のこちらとしては、あちこちで「真剣に笑える(あるいは慄然とする)」ところが10か所くらいはある。けれどもその箇所はこういう場所ではさすがに引用できないのでやむを得ず外した。


ぴんとくる箇所は、読者の背景(年齢や仕事)によって随分異なると思われるが、私にとっては、以下の3点が特に「目を見開く」感じだった。
1.統計学の意味とその未来展望。2、機械が人間の仕事をどの程度奪うかについての諸議論(奪いようがないのは何か、奪われたとしてもこうすればいいではないかという話を含む)。3.これから社会をどうしていけばよいか(格差問題への対応を含む)。

統計学(特にネイマンーピアソン流の普通の統計学)はこの2年くらいビジネス書で異常に持ち上げられていて、密かに「何か裏があるんじゃないか(統計学をきまじめに受け止める人を増やして、国家規模の大型詐欺でもやるつもりではないか)」とときどき思うことがあるのだが、そういう気分でいる人間にとっては、この本での統計学の扱いは、自分で言葉にできなかった部分をかっちりと言葉にしてもらえて、しかもプラスアルファがたっぷりあって、嬉しかった(自分の勉強不足で、ベイズ統計は上の言明には含まれていません。勉強中です)。


「文学なんて必要ないという人もいますが、とんでもない話です。統計データだけで理解できるほど、世の中は単純ではありません(ストーリーの(人間にとっての)大切さ」
「数字と物語をミックスすることで初めて説得力は出ますが、それによって嘘もつけてしまうのは、悩ましいところです(論文執筆の話)」
この2つは、実は神永さんの論文作成についてのコメントだが、考えれば考えるほど含みがあって楽しい。論文書きを20年以上もやっているといろいろな模索や曲折、屈託、妥協があって、そのいちいちをこの言葉で振り返ると「ああ、あれはこういうことだったのか」と今になって思い当たることがたくさんある。まさにある意味このとおりなのである。ただ、ここで意味されていることを学生に伝えることは相当の難事業で、「自分で痛い目にあってはじめてわかる」類の話なのが残念なのだが、それはまた別の話。


「この人が言ったことは本当かと疑うには、エネルギーや時間など、ものすごくコストがかかります」
性悪説を前提にした検証システムは、性善説が前提の権威システムに比べてものすごくコストが高いんです」

「(神永):理論モデルが不要になることはありませんが、究極的には、部分から全体を推定するという意味での統計学はいらなくなるんじゃないですかね。ビッグデータの時代とは、推測統計学の価値が下がる時代だと僕は思っています」
「(小飼):ビッグデータ以前、統計学の一番の役割はデータ圧縮でした」
「(小飼):先ほど、統計学の本質はデータ圧縮であると述べました。これに対して、ビッグデータの本質は何かと言えば、シミュレーションです」

乱暴な言い方をすれば、統計学とは一を聞いて十を知ったつもりになる技術です。それによって得られた結果がリアルと一致することも多かったのですが、やはり十を知るためには十を聞くのが一番です。すでに私たちは十を聞けるようになっている、つまり大量の個別データ ーそれこそがビッグデータの本質ですー を苦も無く扱えるようになっているのに、まだモノを作る現場はその変化に追い付いていません。それでも今後は、十を聞いて十を知ることが常識になっていくでしょう」

このあたりを読み返してみて、自分の統計学の捉え方の浅さを実感した。それでも使っているところが図々しいわけだが、なぜそうしなければいけないかは、現役の研究者なら当たり前の話で、(たぶん)7割くらいの研究者はうしろめたさを抱えていると想像する。「十を聞いて十を知る」サイエンスというのはそれにしても格好いい。友人がアボガドロシミュレーションという計算機プロジェクトをやっていて、「アボガドロ数程度の分子の振る舞いはスパコン運動方程式を直にシミュレートすればいいわけで、そのレベルの化学は今や必要ない」と言う彼の話を数年前に聞いて驚いたことがあるが、それに通じるものがある。


こういうことも実は書いてあって、やっぱりそうかと思うとやはり悩ましい。

「正直言えば、Google, Apple, Amazon, Facebookといった企業にオセロの四隅を押さえられた状態になっていますよ」
「今後有望な分野に関しては、もうアメリカが全部持って行って、勝負はついていると思います」

チョムスキーハワード・ジンオリバー・ストーンなどの米国史(コメントを含む)を読んで、「アメリカとはどういう国なのだろう」と暗い気持ちになることが多いので、(しかもそのアメリカに対して日本が本当のところどう対処してきたかについては、たとえば内田樹の著作にみるとおりなので、暗さは倍化するわけだが)、この方向については、当面どうしようもないと思っておいた方がいいということかもしれない。でも、それですべてが終わっているわけではもちろんないし、それはこの本の中でもそういうトーンになっている。


「機械が人間の仕事をどの程度奪うかについての諸議論」については、既存のいくつかの論点を踏まえた上で、さらに深く(というかうまく問題を再設定して)議論されています。ただし、ここで出てくる結論をどう受け止めるかはなかなか難しい。ただ、私自身はもっと悲観的に考えていたので、ほっとした部分がかなりある。小ネタですが、コンピュータ将棋がどうして急に強くなったのかも非常に的確にまとめてあって面白い。

「みなが同じ方向を目指しているということは、均衡状態であり、極めてまずいことです。人類が平和に暮らしていくためには、もっと視点をばらけさせないとダメなんですよ。---けれど、たくさんの人が集中している分野なら、もういいじゃないですか。今は、自分にしか見えないものがある人たちが少なすぎます」

「(小飼):プログラムを書くこと自体は難しいことではありません。難しいのは、自分が何をしたいかを知ることなんですよ。コンピュータによって人間の仕事が奪われるといわれますが、仕事をどんな風に自動化したいか、どんな仕事にしたいのか、その欲求を持つのは人間の仕事です。どんな製品やサービスを作る時でも、一番難しいのはそこでしょう。ハードウェアにせよ、ソフトウェアにせよ、モノを作る力を持っている人は、意外とこれを見落としてしまう」


社会の先行きや格差問題については、特に機械が小飼さんが持論を展開していて、まず知的に面白い。これについては流行りのピケティの「21世紀の資本」を読み始めようとしているところなので、それを読んでから合わせてコメントしたいと思う。