エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

歩哨的資質、死ぬ言葉

火曜日には娘の試験も終わるので、ほおずき市に行こうと思う。

内田樹の「街場の読書論」を読む。

街場の読書論

街場の読書論

「司法や医療や教育は広く社会的共通資本の中の『制度資本』にカテゴライズされる。それは、これらの制度はいずれも『わからないはずのことが、なぜかわかる』という人間の能力を当てにして設計されているからである。
というのも、司法官も治療家も教師も、実はいずれも『存在しないもの』とのフロントラインに位置する『歩哨』の一族だからである。
人間の世界の内部では『存在することが明証的であるものだけが存在する』『存在することのエビデンスの示されないものは、存在しない』というルールが適用されている。
『世界内部』はそれでよい。
でも、『存在しないもの』とのフロントラインでは、そのルールは通用しない。そこはまさに『存在しないはずのもの』が『存在するもの』にかたちを変える、生成の場だからである。
そのような場にどのようにして『歩哨的資質』を持った人々を配することができるか。
若い人々のうちから、そのような『歩哨的資質』を先天的に豊に具えたものをどうやって発掘し、その能力開発を支援してゆくのか。
これは原理問題ではなく、純粋に技術的な問題である」
歩哨という言葉にはいつもはっきりと思い出せない「何か」を感じてしまう。いつしたのかもはっきり思い出せない思い出のようなもの。あるいは思い出そのもの。そういう感覚があるのでこの言葉のあやうい正しさが感じ取れる気がする。


「『成熟』というのは、知性的なものであれ、感性的なものであれ、自分が今手元に持っている『ものさし』では考量できないものがこの世に存在するという自分の『未熟さ』の自覚とともに起動します」


マルクス主義へと人を向かわせる最大の動機は『貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち』に対する私たち自身の『疚しさ』です。
苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに『楽な思い』をしているという不公平についての罪の意識が『公正な社会が実現されねばならない』という強い使命感を醸成します。でも、そういう『疚しさ』の対象は、1970年代中ごろを最後に、私たちの視野から消えてしまいました。
最後に日本人に『疚しさ』を感じさせたのは、ベトナム戦争のときにナパームで焼かれていたベトナムの農民達でした。私たちはそれをニュースの映像でみて、ベトナム戦争の後方基地として彼らの虐殺に間接的に加担し、戦争特需を享受している日本人であることを恥じたのです。
でも、75年にベトナム戦争が終わったあと、日本人は『疚しさ』を感じる相手を見失ってしまいました。そして、最初のうちは遠慮がちに、やがて大声で『自分達はこんなに楽な思いをしている。こんな贅沢をしている。こんな気分のいい生活をしている』と自慢げな声で言い立てるようになりました。
そんな社会では誰もマルクスを読みません」
こういう文章を目にするたびに「オメラスから歩み去る人たち」を読んだ時の気持ちを思い出し、自ら恥じる気持ちを思い返す。


「美的価値とは、畢竟するところ、『死ぬことができる』『滅びることができる』という可能態のうちに棲まっている。―
『世論』は死なない。個人としての誰が死んでも、『世論』は死なない。それは『プラスチックの造花』と本質的には変わらない。だから、世論は私たちに深く、響くようには届かない。
深く、骨の中にまで沁みこむように残るのは『死ぬ言葉』だけである」
古い友人が新聞記者をしている。新聞記事の中に届く言葉はあるのか。あるようにも思うが、どうだろう。