エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

問題を言葉で扱う

水曜日に熊本大のK先生の生命倫理の講義を聞く。後半は「心とは何か。体と別に心はあるのか」という話題をめぐる現在進行形の自分の考えを力説されて、珍しく熱気のこもった討議になった。慰労の食事会も大変楽しかった。


ペリー・メーリングの「金融工学者フィッシャー・ブラック」を読む。

金融工学者フィッシャー・ブラック

金融工学者フィッシャー・ブラック

あのブラック=ショールズ公式の生みの親、というよりは世界で初めてのクオンツという呼称が一番ぴったりくるフィッシャー・ブラックの伝記。何でまた数学や物理の最先端の勉強をしたとびきりの秀才が経済なんていう割り切れない世界に行くのか、というのが常々の素朴な疑問だったので、あふれるファイナンス用語にへきえきしながら強引に読んでしまった。それもこれも、日ごろ考えているモデリングや定式化についてのぼんやりした疑問をフィッシャー・ブラックは明確すぎるくらいに意識的に実戦的に切り裂いていたからだ。


「そもそも彼にとってファイナンスとは、既存のモデルを修正しながら学術論文を書き上げることではない。ファイナンスとはむしろ言語であり、ファイナンスを学ぶとは、ファイナンスの言語の文法を使って文章を組み立てる術を学ぶことなのだ。新しい問題に直面したときにブラックがしたいのは、黒板に行って数学的モデルを書くことではなく、いっぺんにたくさんの角度から問題を吟味することである。そんときに使うのは言葉であって、数式ではない。もしどうしても必要なら、あとからモデルを組み立てればよい。だがそれは、問題が解決されてからのことである。
 ブラックが問題を言葉で扱うよう主張したのは、精神をつねに最大限に柔軟に保ちたいからである。モデルを描いてしまったら、問題は一定の枠組みのなかに押し込められ、ほかの枠組みを思いつくことが非常に難しくなる。たしかに与えられたモデルの枠組みのなかでも、いろいろなことができなくはない。前提条件を微調整したり、重要なパラメータを変化させて結果を追跡したり。だがもし出発点の枠組みが間違っていたら、何をやってもすべて無駄になってしまう。ファイナンスはまだ若い学問分野で、形式を当てはめるほど成熟していない、とブラックは考えていた。さらに彼に言わせれば、経済学も歴史こそ古いが似たり寄ったりである」

「定式化と計量化には限界があるというブラックの批判は、有能な研究者の間ではすでによく知られていた。しかし、他にいったいどんな方法があるというのか。彼らの言い分はこうだ―たしかに世界はとまってはいない。だからと言って、扱いやすい状態をまず理解してから総合的な理解へと進む手順を踏むのはいけないことだろうか。仮定の世界に通用する手法をあとで拡張し、最終的に現実を扱えるようにすればいいではないか。それにまた、研究手法や概念を開発するプロセスを通じて、現実の世界をよりよく知ることができる。その結果、データにマッチするモデルを構築することもできるのではないか。そもそもデータは統計的手法によって収集されたものである。これがあったから実態を把握できたのだ。だから、このやり方で徐々に前進していけばいい…。
 この手の擁護論にブラックは納得しなかった。『学者の使う手法や概念はわからない』と発言したのは、大切なことを問い直したかったからだ。ノイズではなく情報をきちんと発信しようとするとき、おきまりの定式化や計量化は本当に頼れる手法なのか。標準的な手法や概念にばかり頼っていたら、漸進的な進歩も飛躍的発展も望めないのではないか。まずはしっかりした足場がなければジャンプはできない」


○問題を言葉で扱う。数式やモデルを先行させない
○定式化と計量化そのものを疑ってかかる


どちらも、いわゆる「標準的な科学者の研究スタイル」そのものとは異質なスタイルで(天才とはそういうものだと言ってしまえばそれで終わりなのだが)、そのスタイルを貫いた彼の人生は「格好いい」。

「子供の頃のフィッシュ少年の望みは、何か新しいものを作り上げること、誰も考えつなかいようなことを考え出すことだった。だが想像力を野放図に働かせれば狂気に近づく。社会はそれを容認しないし、ブラックはそれをいやというほど知った。そんな彼に『人間とコンピュータの共生』という思想は、衝動的な創造性を律して上手く表現する方法を教えてくれたのである。人間としての自分は好きなだけ自由に創造的能力を羽ばたかせてよい。だがコンピュータとしての自分は、ほとばしり出る思い付きを裏付ける論理を厳密にチェックしなければならない」

「何しろ新しい経済理論を組み立てる時のブラックの戦略は、サミュエルソンと正反対だったのである。ブラックが没頭するのは、数学的な問題ではなく実務的な問題である。取り組む方法にしても、限定的で単純な問題から始めるボトムアップ方式ではなく、一般的な問題の解決を優先するトップダウン方式だ。一般均衡モデルはその名のとおり極めて一般的であり、観察するほとんど全てのデータと矛盾しない、とブラックは主張した。理論というものは、一般的なモデルから単純化した標本を抽出し、特定されたある場面で作用する要素を明らかにできなければいけない、というのがブラックの考え方だった」


あまりこんなことばかりを考えていると標準的な科学者は非生産的になってしまうのでほどほどにしなければいかないのだが、拙速な計量化やモデリングに走らないように、この辺りはじっくり考えてみたい。