エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

形式的なものと直観的なものとの弁証法

反貧困のデモが世界各地で起きていることが盛んに報じられている。これはどういう流れなのかとできるだけ巨視的に見ようとしている。


パレ・ユアグローの「時間のない宇宙」を読む。

時間のない宇宙―ゲーデルとアインシュタイン 最後の思索

時間のない宇宙―ゲーデルとアインシュタイン 最後の思索

副題は、ゲーデルアインシュタイン最後の思索。ゲーデルの生涯と仕事を特に哲学的観点から記述した内容だが、特に相対性理論の数学の哲学的評価から時間の哲学の数学的アプローチへと至った彼の仕事についての記述が厚く、また読み応えがある。存在論と認識論、形式主義直観主義といった対比をうまく重畳させて、ゲーデルのとった道がいかに独自のものであったかを示している。


時間のない宇宙とは、つまりは以下の一文である。
ゲーデルは、経過する直観的な時間の存在は、特殊相対性理論が真であることと、とりわけ同時性の相対性とすべての慣性系が等価であることと矛盾することを、シンプルかつエレガントに証明した」

これは大変興味深い話の持っていき方である。「相対性理論により、時空という形で形式化された時間成分tは本当に時間なのだろうか?」というのがゲーデルの問い(の主要なひとつ)である。


ゲーデルが作った世界モデルでは、どの二つのできごとをも結ぶ連続した時間的な世界線があるので、たとえBがAの後に起こると観測されても、Aに達する前にBに行く旅―非常に速い宇宙船による旅だ―を人は行うことができるとゲーデルは数学的に証明するのである。このことからゲーデルは、このような世界の時空構造は、明らかに時間ではなく空間であり、したがって時空の時間的成分tは事実としてもう一つの空間的次元であり―それはわれわれが通常の経験の中で理解している時間ではないと結論づけたのである」
「われわれが”t”と呼ぶもの、つまり相対性理論的時空の時間成分は、(マクダガートの言う)Bシリーズを表現すると首尾一貫して解釈できる。問題はAシリーズにある。なぜならアインシュタインが述べたように、特殊相対性理論では「<今>は空間的に広がった世界では客観的な意味を失い」−つまり客観的、世界的な「今」はないので―、”t”はAシリーズを表すことができないように思えるからである」
「彼はゲーデル宇宙の数学的構築において、小文字の”t”、すなわち四次元時空の時間成分を表す変数は、直観的な意味での時間の標準的な解釈には耐えられないことを証明したのである。さらに言えば、彼はそれが「宇宙時間」としてさえ解釈できないこと、またそれ自体がせいぜい実物のまやかしでしかないことを証明したのだった」


さて、その矛盾から宇宙に対する考え方を導き出すには哲学的立場を明確にする必要があり、その部分のユアグローによる記述は私には十分納得のいくものではない。一言で言えば、「時間のない宇宙」ということになるのだろうが。


順序は後先になったが、時間の数学と哲学の前に、当然のように不完全性定理についての(特に哲学的側面を強調した)章がある。

ユアグローは、そのどちらも「ゲーデル・プログラム」、つまり直観的概念を捉える形式的な方法の限界の探究であるとしており、それはかなり納得できる。特に、下記の部分は不完全性定理の肯定的側面をうまく捉えていると思う。


ゲーデルはそれ自体形式的な意味のない符号の体系であるFA(形式的算術)に、意味が「二重に詰め込まれている」ことを証明した。つまり数論とFA自体のシンタックスすなわち証明論を同時に表現するのに用いられるのを保証する意味が、FAに与えられていることを証明するのに成功した」
 別の言葉で言えば、FAは自然数を通じて自分自身について語ることができるのである。自然数デカルトの精神にそって「再利用可能」であることをゲーデルは示したのだ。それは算術の要素であると同時に、形式化された算術のシンタックス、すなわち証明論の代表として用いることができるのである」