エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

確率は、反復の枷を逃れて一度きりのものになる

夕日が裏の森の紅葉を照らし出しているのを見ると、いろいろなもやもやを忘れる。


シャロン・バーチュ・マグレインの「異端の統計学ベイズ」を読む。

異端の統計学 ベイズ

異端の統計学 ベイズ


1回性のできごとを理解したいという気持ちがだんだん強くなっている。ひとつひとつの細胞はそれぞれの性格を持っていて、その形態変化や動きは繰り返しではない。正確にみようとするほど繰り返しでないことがわかってくる。したがって統計の世界に入ってくるわけだが、理解したいのは「繰り返されるもの」自体なのかというもやもやは残される。電子は1個1個の電子を区別する必要はないので、フェルミ統計に従うといって、語り残される部分はないだろう。だが、個体と言わず、細胞はどうか?

この本を読んだことで自分の中に長く残りそうなのは、そういうもやもやに形を与えることができそうだという感覚だと思う。

[計算や統計を行う装置の集合体としてのベイズは、今なおベイズの法則を原動力としている。「ベイズ」という言葉には、デ・フィネッティやらラムゼイやサヴェッジやリンドレーが共有していた「確率とは信念の尺度なり」という考えが、さらにはリンドレーの言葉を借りれば、「確率は、反復の枷を逃れて一度きりのものになる」という考えが変わることなく継承されている。とはいえ現代のベイズ派のほとんどが、頻度主義が今なおたいていの統計の問題に有効だという事実を受け入れている]

ひとつの地震を理解することは大変だろうがある程度まで可能だと信じたい。細胞の振る舞いは多サンプルについて実験ができるだけ随分ましなのだが、それでも「何を知りたいか」をつきつめていくと、あるところから同じ種類の問題の存在に気がつく。「この細胞を理解することはできるのだろうか。それを抜きにこの種の細胞について何が理解できるのか。理解できたものは何を意味しているのか」。地震をヒトに置き換えればより理解しやすいかもしれない。
その種の疑問に一度きりのものを扱える理論的枠組みがある、というのは気が楽になる話だ。


それはともかく、この本では、ベイズ自体は自然体だし、実際的なものだということが繰り返し語られる。

ベイズの法則は、意見ごく単純な定理だ。「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」」

「尤度原理によると、実験データに含まれる情報は、すべてベイズの定理の尤度の部分に要約されることとなる。尤度部分は新たに得られた客観的なデータの確率を表していて、事前確率とはまったく関係がない。この原理によって、事実上分析は著しく簡素化される。科学者たちは満足のいく結果が得られた時点で、あるいは時間や金や忍耐が尽きた時点で実験をやめることができるのだ。」


特に、実験屋にとってありがたいのはこういう部分である。

「必要なのは『自然の状態としてはほかにどのような状態があって、それはどれくらい本当だと信じられるのか』という問いかけができることだが、頻度主義ではこの問いを発することができない。ところがベイズ派は、複数の仮説を比較できる」

「頻度主義では、大規模なサンプルに対してたったひとつのことを選ぶので、モデルの不確定要素が無視されるのだ。−これに対してベイズ理論を使うと、社会学者の直観にはるかに近い結果が得られるように思われた。ラフテリーは同僚に『いくつものモデルを比べることが重要なんだ。どれかひとつのモデルとデータとのちょっとした食い違いを探すというのではだめだ』と述べている。研究者たちが本当に知りたいのは、与えられたデータに対して自分たちが考えたモデルのうちでどれが一番正しそうなのかということなのだ。ベイズの理論を使うと、ある安定した形状から別の形状への突然の遷移を研究することができる」


武器としてはこういうものも示されているので、今後の勉強の方法もわかりやすい。

MCMCとギブスサンプリングは、統計学者が問題に取り組む際の手法を一瞬にしてがらりと変えた。トーマス・クーンの言葉を借りると、これはパラダイムシフトだった。MCMCを使うと、定理ではなくコンピュータのアルゴリズムで現実の問題を解くことができた。こうしてMCMC統計学者や科学者たちを、コンピュータの反復運用が数式にとってかわり、「正確な」という言葉が「シミュレーションによって得られた」ということを意味する世界へと導いた。これは、統計学における画期的な前進だった。


それらの底にはあるいはこういうことが横たわっているのかもしれなくて、そちらも意識しておきたいと思う。(たぶんかなり的を射ていると思う)

「ウォルパートは、話すことから行動することまで、人間のあらゆる行動の基本にベイズ的思考法があると考えている。生物の脳は、ベイズ的に考えることで世界の不確かさを最小限にするように進化してきた。早い話が、今も増え続けている数々の証拠は、われわれがベイズ的な脳を持っていることを指し示しているのだ」