エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

数学-物理学-生物学

1) 数学が恒真文によって定義づけられるのであれば、数学の全内容は「AはAである」の一文に帰するのか?直観的にはそうでないと感じられるが、その根拠は何か?


解答の手がかり:「数学―その形式と機能」S.マックレーン
・数学は形式的なネットワークであるが、そこにおける概念や公理は”アイデア”に基づいている。
・このことから、われわれは第3の、そして最も基本的な問題に導かれる。これはEugene Wignerによってはじめて定式化されたものと同様の問題である。
 問題Ⅲ 科学にモデルを提供する際に生じる不可解なほどの有効性は、どのようにしたら証明できるのであろうか?
 ここで存在論と実在とがふたたび問題となる。数学的知識は論理式についての知識に過ぎないように見えるのに、しばしば(物理)現象についての知識を得るのに役立つのである。−
 厳密な形式主義者、すなわち数学を記号の操作術にすぎないと考えている者はこの問題Ⅲには答えられない。
 要約すると、現実世界は潜在的に多くの規則性をもっていて、それがひとたび抽出されると、数学上の形式によって分析され、理解されるということになる。数学的概念はそれが形式的であるために、多くの異なった現象に同じ概念が適用されるのである。


2) 物理学において「現在」という特別な時間は存在しない。一方で、エントロピーは未来および過去の双方に向かって増大する(減少しない)。その意味で現在はエントロピーが最小の時点と定義できそうに見える。この2つが矛盾しないのは、そういう文脈でエントロピーが測定できない(あるいは定義できない)からなのだろうか。しかしながら、エネルギーを温度で割ることでエントロピーが測定できるのはなぜか。


3) 数式は美しくなければならない。生物は数式で表されないのでなお美しい。
非線型という言葉が「私も知らない。あなたも知らない」を意味しないためには何をすればよいのか。