エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

最後の古典幾何学者

例年のごとく科研費の申請書書きのシーズン。いろいろメモを書き溜めておいたので、二度ほど部屋に立てこもってコーヒーで目をさまして集中して第1稿を仕上げる。


シュボーン・ロバーツの「多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者」を読む。

多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者

多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者

コクセター(1907-2003)は「現代のユークリッド」「最後の古典幾何学者」「幾何学の王」と呼ばれた人物である。デカルトに始まりブルバキで頂点に達した代数と簡潔性ばかりを数学が偏重する傾向に逆らって、幾何学を殆ど絶滅ともいえる危機から救ったと形容される。この本は彼の(たぶん)はじめての本格的評伝であるとともに、20世紀における幾何学の凋落と劇的な復活(それはたぶんまだ途上)を見事に描き出している。

私は古典幾何学に特に思い入れはない。デカルト流の代数幾何を教わった時に「これはまた便利なものがあるものだ」と思ってすんなりそちらに乗り換え、「大学への数学」などで古典幾何学を使った美しい別解とかがのっていても読み飛ばしていた口である。大学に入ったら図学という講義があった。3次元の建物を平面図でどう描くかを教える教科で、工学系に進むには必須といわれていたので(出席率も高かった)わりと熱心に出たが、ほぼさっぱりわからなかった。方向感覚は割りと自信があったので、空間認知能力は人並み以上だろうと思っていたが、「これではプロにはなれない」と思った。それ以来、古典幾何学は少し敷居が高い。それでもこの本を読んだのは、高次の対称性を感覚的に理解するためには、たぶん古典幾何学の間隔を磨く必要があるのだろうとしばらく前から思っていたからだと思う。その期待はほぼ報われた。コクセターの人生も大変興味深いものだったが、下の文章にあるように、古典幾何学の重要性が納得できた。

「コクセター群は永遠に数学の海の底から浮上する。コクセター群が役に立つ道具としてこれほど頻繁に表面に浮上するのは、コクセター群の対象性が全能であり、あまねく存在していて、幾何学から位相幾何学、数論、代数、物理学、果ては科学、宇宙学、生物学、社会学、カタストロフィー理論、経済学に至るまで、ありとあらゆるものの基盤をなしていることの証しである。コクセター群はあらゆる分野とのリンクを構築するし、あらゆる問題に応用できる発想法でもある。コクセター群の基本的な概念は、対称性のひな型であり、研究の普遍的な構成要素である。現在も何百人の数学者がコクセター群とそれに関連する対称性の概念に関する研究を行っている」

コクセターと交差する人々も実にカラフルだ。ホワイトヘッドヴィトゲンシュタインから、エルデシュ、フラー、ホフスタッター、エッシャーコンウェイなどなど。

「フラーにとって、幾何学は、目的を達成するための手段だったと思います。彼は自然が使う基本的なパターンを探していました。そこに完璧で包括的な構造を見出していたのです」

「(ホフスタッター)私には常に絵が必要です。私の言う視覚は、盲人が持つことのできない感覚ではありません。盲人も健常者と同様に視覚を持てると思います。視覚とは、頭の中で空間を描く方法に関係なく、空間について考えることを意味するのだと思います」

本も終わり近くで、ロバーツはこう書いている。共感できる。

幾何学と科学の問題の関連性はこえからますます高まるだろう。そこで浮上するのは、問題に取り組んでいる科学者たちが幾何学的な意味を認識できるのかという疑問だ。科学者たちに幾何学的なひらめきを得る能力がないとすれば、50年後に彼らの相談相手になり、正しい方向を指し示す幾何学者はいるのだろうか。それとも、科学者たちは、火急の問題に対する解決策を得るまでに、貴重な時間を再発明に費やし、過去の落とし穴にはまって無駄骨を折るのだろうか」

私にとっては、単純さから多様性がうまれるのにパターンがあるかどうかがもっとも知りたいところだ。