エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

反証可能性理論の土台

水曜日の生命倫理学で加藤先生の講義を聞く。

1)生命倫理の問題は、既存の社会制度(それは法体系により支えられている)の外部に、新しい技術によりもたらされた空白地帯から生じる
2)法体系には、大陸型の成文法と英米型の判例法があり、上記の空白に速やかに対応できるのは英米型である。経験的にいって、日本の(法整備による)対応は、世界でもトップレベルの遅さである。


カール・ポパーの「よりよき世界を求めて」を読む。

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)


ポパー反証可能性理論はほとんどの研究者がどこかで聞いたことがあるのだろうが、少なくとも私にとってのそれは良くできたキャッチフレーズのようなもので、その裏打ちをなす彼の思想に特に興味を持つことはなかった。その大きな原因は、この本で明かされているように、ポパー啓蒙主義を奉じる楽観主義者であり、その意味でこの100年の流行の外にいるからだろう。同じ風土から出てきた、現代の知的アイドルであるウィトゲンシュタインとは対極にあるように見える。


可謬主義とは例えばこういう下り。
「しかし、真理に近づくことは容易なことではありません。ただひとつの道、つまり、われわれの誤りを通っていく道があるのみです。われわれの犯した誤りからのみわれわれは学ぶことができるのです。そして他人の誤りを真理への歩みと評価する用意のある者、自分自身の誤りをさがして、それから解放されようとする者だけが学ぶのであると言えましょう」
生物学の研究などはまさにこのいい例で、十年前くらいは(今でも時々)どの論文を信用していいのかわからなくて途方にくれることがあったが、こういってもらえるとほっとするし、誤りは真理への道と思えば、正々堂々と誤りをおかせる(それはちょっと違うかもしれない)


別の意味でおもしろかったのは、ポパーによるカントの評価。最近出た中島義道のカント解説などをちらちら見ているが、そういうものとは根本的に違って、いっそすかっとする。

「カントはヒュームによって懐疑主義に転向していましたので、この新しい知が逆説であると、つまりほとんど不条理であると考えました。彼は、ニュートン的科学のようなものはそもそもいかにして可能でありうるのかと自問したのです。
この問い、そしてカントの答えが、彼の『純粋理性批判』の核となりました。この書物の中でカントは次のような問題を提起したのでした。
いかにして純粋数学は可能か
ならびに
いかにして純粋自然科学は可能か」

「カントはその書簡の中で、宇宙には時間に関して始まりがあるのかどうかを決定しようと試みたときに、『純粋理性批判』の中心問題を発見したと述べています。彼は、両方の可能性について外見上妥当な証明を立てることができることを発見して、たいへん驚いたのです」

「空間と時間は物や出来事からなる実在の経験的世界に属しているのではなく、われわれ自身の心理的道具、われわれが宇宙を把握するための心理的な道具なのです」

「カントは、宇宙についての純粋に思弁的で、なんらの観察によっても統御されていない議論は、常にわれわれを二律背反に巻き込まれざるを得ないことを示したのです。彼は、ヒュームの影響を受けて、可能な感覚経験の限界と宇宙についての理性による理論構築の限界は同一であることを示そうとして、『批判』を書いたのです」


知識と実在については、言語について掘り下げている。

「わたくしの推測では、生命と意識とがこれまでに成し遂げた創発の歩みのうちで最大のものは、人間の言語の案出です。それは人間になることであるとも言えるでしょう。
 人間の言語とは表出のみでも信号の送受のみでもありません。信号の送受なら動物にもあります。それはまた、記号解釈のみでもありません。そうしたことなら、それどころか、儀式でさえもが動物に存在します。意識の予見されるべくもない発展の結果として踏み出された大きな一歩は、記述的言明、言葉を換えていえば、カール・ビューラーの記述機能の案出です。つまり、事実に一致したりしなかったりして、客観的事態を記述する言明、したがって真あるいは偽でありうる言明の案出です。これは人間の言語においては画期的に新しいことです」


そして、ポパー自身は「啓蒙主義を奉じる楽観主義者」ということに加えて、第三の世界を認める多元主義者である。哲学づいた科学者は結構この立場をとるが、哲学者でこういう人はごくまれだという感想を持っていたので、少し驚いた。

「しかし、若干の哲学者は、本当の多元論を唱えました。彼らは、肉体と魂、物理的対象と意識過程のかなたの第三の世界の存在を主張したのです。プラトンストア派、そしてライプニッツボルツァーノフレーゲなどの近代の思想家は、このグループに属します」