メタ宗教としての仏教
ほぼ1ヶ月ぶりに卓球に行く。休み休み1時間半やっていると汗が吹き出してくる。爽快。
- 作者: 河合隼雄,中沢新一
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2003/08/06
- メディア: 単行本
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宗教に関わらず、哲学としての宗教に興味を持っている人にはかなりおすすめの一冊。たまたま図書館で河合隼雄X中沢新一というのを見つけて読んでみた。
「(中沢)ところがこの知恵の設定が解除される事態が発生してしまった。そのとき大きな国家が出現してきています。帝国の出現ですね。仏教は、帝国というものが生まれるのとほとんど同じ時期に生まれている。ここが「仏教とは何か」ということのもうひとつの本質だと僕は思います。仏教はこの帝国が生まれてくる時代に誕生して、この帝国を生み出すものが人間の知恵を崩壊させていくという危険性を察知して、知恵の回復に取り組んだ思想です。...帝国の内部に帝国を否定していく社会原理をつくりだそうとする運動としての仏教という考え方ですね」
「(中沢)帝国の内側に生きながら、そして帝国もそれを庇護するわけですが、帝国の原理を内部から解体させていく、いまふうに言うと、脱構築の原理がセットされた「宗教でない宗教」「知恵としての非宗教」が作られた。そういう宗教ならざる宗教をブッダは作ろうとしていたんではないでしょうか」
このあたりは宗教にこういう性質がありえるとは思っていなかったので、実に新鮮。
「(中沢)井筒先生が「メタ宗教」という考えについて書かれたときに、イスラムでもスーフィー、神秘主義のほうに入っていくと、ほとんどこれは仏教と同じになってくる、キリスト教だってユダヤ教だってカバラから神秘主義へ入っていくと大体同じになるとおっしゃっていることは、そのことに関わっています。媒介しているのは必ず神秘主義的な体験と言われているもので、これは瞑想です」
「(中沢)で、「瞑想とは何か」、一言で言うと、大脳新皮質の活動を停止させたときに見えてくるものがあると、そのことに尽きると思います。そのときに何か変化が起こってくる。これを井筒先生は「あらゆる宗教が突き抜けていく先がある」と表現されましたけれども、それを脳のなかでどこに探していくかというと、大脳が新しい皮質の活動を停止させたときに、古い皮質が活動し始めていきますよね。そのへんでしょうか」
確かに、「メタ宗教」と瞑想の間にはなんだかつながりがありそうだと自分の禅体験と井筒体験からそう思う。
「(中沢)ユダヤ教やキリスト教やイスラム教は、新石器的な魔術の文化を否定することによって、国家を乗り越えようとしましたが、仏教はそれとは反対に、むしろ新石器的な「野生の思考」を積極的なかたちで生かすことで、国家を乗り越えて、普遍性に立とうとしたのじゃないか、と。
この意味では、仏教は「空」による一神教とも言えます」