エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

歴史の方程式

シカゴから昨日帰国した。今度の学会は収穫が多かった。

7年半前に今の研究室に加わった時に新たにテーマを立ち上げたのだが、そのときに考えたアイデアにはほぼひととおり手をつけ終わり、当たったものにさらに工夫を加える形で発展させてきた。

1、2年前から、次のステージに進むためには何か転換が必要だと感じ始め、そういう目でいろいろ見直しをしては自分なりにアイデアを練っていたつもりだったが、どれも何となく今のテーマの枠を出ておらず、自分でも物足りなかった。

それが、今回の学会で見つけたいくつかの手がかりをきっかけにして、いきなり霧が晴れるように、新しいテーマが見えてきた。その意味では大変充実した5日間だった。


出張中に食べた食事で当たりだったのは、平凡だがシカゴピザオイスター。今までは「地球の歩き方」で店を探していたが、今回は、同じようにシカゴに来ている人たちのブログをcheckして、いい感触の店を選んでピンポイントででかけたため、当たりの率が高かった。

シカゴピザは、Pizzeria Uno。2人で行ったらSmallで十分。アメリカ料理としては意外なことにピザの具がかなり複雑に味が入り組んでいて、相当な量を食べても途中で飽きがこない。次に行く機会があったらFour Cheeseというのを試してみたい。

オイスターは、シーフードではシカゴ随一の人気店というShaw's Crab House。かなりぱりっとした雰囲気。ブログのアドバイスに従って、生牡蠣を1ダースとアペタイザーを2つ(小エビのフライとかにグラタンのdip料理)を頼む。生牡蠣は5種類あったのでメニューの一番上と一番下を頼んだが、小粒な方が特に味が濃くておいしかった。アペタイザーは2つとも当たり。これだけで予想どおり腹いっぱいになったので引き上げたが、次回があれば体調を整えて行ってメインまでたどり着きたい。


出張中にマーク・ブキャナンの「歴史は「べき乗則」で動く」を読む。

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

原題はUbiquity。旧題は「歴史の方程式」。すぐに連想されるのはアシモフの「銀河帝国史」に登場するハリ・セルダン心理歴史学だろう。そして、心理歴史学がこういう形で現出しかかっていることは、私が25年前に相転移の統計物理学を習っていたころは想像もつかなかった。あるいは超ひも理論や統一場理論よりも、この歴史物理学の方が人類に与える影響は大きいということが半世紀くらい先にはわかるかもしれない。

量子論も相対論も、時間に依存しない方程式を基礎としており、どのような形でもそこに歴史を含めることはできない。それに対して砂山ゲームなど、我々が見てきた単純なゲームにおいては、歴史が重要な役割を果たしている。そしてもし、相互作用する物事の集団のなかを、どのように影響が広がり、どのように秩序や無秩序や変化が伝わるのかといった方法について、何らかの深遠な事実が臨界状態の性質から分かるとしたら、社会学者や歴史学者がそこに有用な概念を見つけられるかもしれないと考えるのは、そうばかげたことではないだろう」

その歴史物理学へとつながるルートは、べき乗則やスケールフリー性の発見であり、それに引き続く臨界状態の普遍性の原理だ。その原理は、この本の中で、「複雑系理論における初めての真なる発見であると言えるだろう」と書かれている。ついに、複雑系理論が発見を生んだか、と20年来の複雑系ウォッチャーとしては感慨深い。

地震や金融崩壊や革命や戦争について言えば、我々は当然誰でも、これらの出来事の原因を特定し、将来の発生を防ぐ事を切望している。これらの出来事の力学の背景にはフラクタルべき乗則が働いており、おそらくそれは、これらの出来事の力学の裏に臨界状態が潜んでいるためである。その結果、説明を望む人間の願望はひどく裏切られ、絶えず満足できない状態に運命にある。もし我々の世界が常に、突然の劇的な変化の瀬戸際に立つように調整されているとしたら、あらゆる大変動は、その発生直前でさえ絶対に避けることができず、予測不可能なのかもしれない」

「普遍性の奇跡的な特徴とは、同じクラスに属する物体は、それが現実のものであろうが想像上のものであろうが、そして互いにどんなに似ていないように見えても、正確に同じ臨界状態へと組織化するということである。
すべての物理的システムは必ずどれかの普遍性クラスに分類されるので、一つのクラスのなかのあるシステムがとる臨界状態を理解できれば、それはすなわち、そのクラスに含まれるすべてのシステムを理解したことになる。ところが、どんなに大雑把なおもちゃのモデル、たとえオンサーガーのモデルでさえ、必ずどれかの普遍性クラスに含まれる。したがって、臨界点に位置するどんな現実の物理的システムを理解したい時でも、そのシステムのあらゆる現実的で厄介な細部を忘れ、その代わりに、同じ普遍性クラスに含まれるもっとも単純な数学的ゲームを考えればよいのだ」

「こうして我々は、臨界的思考とでも呼べるような態度へと到達した。臨界状態にある物事は、どれも似たような組織構造を形成する傾向がある。そしてこの組織構造は、システムに特有の詳細やそれを形作る要素に基づいて生じるのではなく、それらの細部の裏側に隠された、より深遠な基本的幾何や論理構造にもとづいて生じる。臨界構造は、そのシステムが何物であるかに関係なく姿を現すのだ。したがって、ある物事が臨界状態にあるとわかれば、その物事の詳細をほとんど無視したとしても、その本質的な性質は理解できるのである」

「普遍性の原理によれば、臨界状態へと組織化されたものは、ほとんどの詳細にはまったく左右されない」

そして当然のように歴史物理学の対象となる生物学(進化理論が本当に科学の理論になるためには、やはり歴史物理学が必要だったわけだ)については、こういう格好になる。

「非生物的システムにおいて、臨界点でスケール不変性が成り立つのは、ある粒子が近くのいくつかの粒子と直接相互作用し、それらがまた近くの粒子と相互作用し…、といったように相互作用が長距離を「伝播」していき、その結果として、べき乗則に従う分布が生じるからである。同様に、生態系のなかの生物種は、いくつかの他の種(すべてではない)と相互作用し、それらがまた他の種と相互作用し、といった形で相互作用を「伝播」させていく」

「前に見た磁石と同様に、分子の混合物の振る舞いは、分子の種類が増えると共に、退屈なものから魅力的なものへとひとりでに相転移するのである。この相転移こそが、生命の誕生は稀なことではなく、むしろ不可避なものだという、まったく新しい理論のかなめとなっている」

そして現状はこうである。

「現代物理学におけるもっとも深遠な発見のひとつは、非平衡系においてはしばしばひとりでに臨界状態が生じてくるということである。物理学者はいまだに、どのような条件下で臨界状態が生じるのかを見極めようとしている段階にしか達していない」

友人のIさんは計算機物理学を駆使して、まさにこのあたりを視野に入れつつある。彼の最近の生命に対する入れ込み方にはよくわからない部分があったが、この本を読んで彼の見ている世界が少し想像できるような気がする。今度あったときには「歴史物理学はどこまで来ているかい」と聞いてみたい。