エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する

昨日は昼過ぎから、統合失調症の分子メカニズムの権威AS先生のセミナーを聞きに行ってきた。2000年のAS先生によるDISC1の発見は「統合失調症のような心の病についに分子生物学が手をかけられるようになった」という驚きをもって受け止められた。AS先生のセミナーでは、pathogenesisとpathphysiologyを峻別することから話が始まり、fast-spiking interneuronのdefectと統合失調症, 酸化ストレスや代謝統合失調症といった非常に面白い内容が続いた。Trends in Neuroscienceにもうすぐそのあたりをまとめた総説がでるらしい。

全体に、心の病を分子のメスで切ることへの慎重さ、謙虚さが印象的だった。「80年代、精神科の臨床研究者が基礎に転じる時、多くは結果の出そうなアルツハイマーやパーキンソンといった神経変性疾患をテーマとして選びました。そして、そこで生き残った精神科出身の医師の多くが、2000年以降、統合失調症双極性障害の研究に戻ってきています。でも、彼らは、神経変性疾患の研究で経験した「1疾患の背後には1遺伝子がある」という勝ちパターンにこだわりすぎている。あたかも、DISC1やneuregulinが、synucleinやparkinのごとくであるような研究スタイルをとっている。私はそれで多くの間違いが犯されることを憂えている」と話したのが記憶に残った。

AS先生は40前半だが、もうすぐJohns Hopkinsのfull professorになるらしい。そのインタビューで40年後のvisionを聞かれたと話していた。「40年後には、おそらく統合失調症の素因はわれわれ全てが持っているということが認識され、健常者と異常者という区別は意味を失っているでしょう。40年後にはそうなっていることを目指したい」というのが、AS先生の結論だった。


立花隆の「巨悪vs言論」を読む。

衆院選ももうすぐ中盤。民主党が政権の座に着くことがほぼ確実視されているが、こんなときこそ、もう少し遠いところから今の日本の政治を考えてみたいと思って、1993年出版のこの本を読んだ。細川連立政権誕生前夜の出版である。

「こうして、自民党の政調部会、委員会を舞台に、xx族議員、xx省官僚、xx業界の癒着が日常的に進行していく。業界から議員に政治献金が行き、議員は官僚を動かすことによって業界にサービスする。法律的には典型的な斡旋収賄のケースだが、なにしろ自民党内というインフォーマルな場でのインフォーマルな行為だから、実質的にはそれが公的決定に関与する行為であっても、法にはふれないのである。
これがいわゆる構造疑獄といわれるものである」

バセドウ氏病は、以上のような生理的側面に症状が現れるだけではなく、精神的側面にもあらわれることは、田中が、
「ぼくの気の早い、せっかちなのもね、病気のせいなんだ。だから、もっと落ち着けなんていったって、これは無理というもので、病的症状なんですよ」
というとおりである。せっかちになることだけが、バセドウ氏病の精神症状ではない。『バセドウ病の精神症状』によると、まず一般的症状として、「精神活動も亢進状態にあり、イライラして落ち着きがなく、注意集中が困難で、活動的で多弁になり、過敏で興奮しやすく、ちょっとしたことで笑ったり泣き始めたり感情が不安定になる」。さらに進んでは「気分高揚、抑制低下、誇大念慮など軽躁状態を呈することがあり、ヒステリー発作や偏執傾向を伴うことがある。ときには、関係念慮から被害妄想、無為、幻聴、興奮状態などの分裂病様反応を呈する」といい、精神病に近くなってくる。また精神分析学的研究によると、バセドウ氏病患者は、時期尚早な独立へのあがきを持ち、常に昇進しようと野望を抱く。また、愛情飢餓感が強く、愛を失うことを極度に恐れて、他人に対して気を使いすぎ、自分の意に反してでも人に尽くし、自分に全面的に依存するような人をできるだけ自分の側においておく事で精神的安定を求めようとするという。また、不安感、恐怖感を強く否定・抑制しようとして、不安の要因となるものにしばしば過剰防衛反応を起こしがちという。金属バットにつながるイライラも、この病気がすすんで精神分裂病に近くなった時のことと考えれば理解がいく。
以上のような症状は、田中の意識と行動上の諸特性と非常によく合致する」

「国家のみならず、あらゆるレベルの集団が、集団として統制が維持されるためには、集団内部でそれがいかに名目的なものであれ、正義が維持されていなければならない。リーダーが不正を犯したことがバレながら、オレは何も悪い事をしていないといいはり、だから依然としてオレがリーダーシップをとるといい、それに追随して、そうだこの人は何も悪いことをしていない、だからオレたちはこの人に従うという人々が多数輩出するようになったら、その集団は解体一歩手前である。
不正行為者が罰されないどころか、リーダーシップを握っているという状況は、定義どおりのアノミー状態(法が失われた状態)である。アノミーが社会を解体に導くというのは社会学の公理である。
いまの日本において進行しつつあるアノミーは多面的であり、その要因を単純に分析しつくすことはできないが、田中角栄の存在がその大きな要因のひとつとなっていることは誰も否定できないだろう」

「金脈のときによく言われていたことなんだけれども、ロッキード事件以前、田中は政権に近いところをずっと歩いてきた。池田の時代から佐藤内閣まで一貫して政権の中枢にいた。そのときに彼は、若い時から相当ヤバイことをやってきたけれども、政権に近づくにつれ、ある安全ラインがある、ある地位を越すと、安全地帯に入る、絶対捕まらない、ということを経験的に知った。そしてあるとき自分はもうそれを越したという自覚が生まれ、それからはむしろ平気で悪い事をやるようになったという。田中以後の政治家はますますそう思っているのじゃないだろうか」

「先ほど、長期安定政権であればあるほど、検察のメスが政権周辺に長期にわたって入らないので政治腐敗はどんどん深刻化すると書いたが、田中の闇将軍的政治支配は、佐藤政権より長くつづいたので、政界には十年間も検察のメスが入らなかったのである。そしてその間、政治腐敗はどんどん進んだ。日通事件の後の8年間の”眠れる検察”の時代のように、みんな安心して、政治腐敗の世界の居心地の良さを味わったのである。かつては、田中角栄くらいしかやらなかったような、大胆な黒い金作りをみんな平気でするようになってしまったのである。リクルートにしろ、佐川にしろ、金を出すほうも受け取るほうも、みんなあっけらかんとしている。腐敗状態が当たり前になってしまったので、これが腐敗だという意識すらなくなったかのごとくである」


政権交代がない政治構造はそうしてもとめどなく腐敗していく。流れる水は腐らないが、流れない水は腐るのである。いい古された言葉だが、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という言葉をもう一度かみしめてみる必要があるだろう」


「田中が決定的に悪かったのは、そういうことをしたというそれ自体よりも、それがばれた後あまりにも堂々と開き直ったことである。逮捕投獄されて、5億円収賄事件の被告人として裁判にかけられているというのに、それを恥としないどころか、自分の政治力にものをいわせて、力で司法をねじふせようとしたことである。田中のこの野望のために、それから日本の政治は無茶苦茶に狂いはじめた」

「政治腐敗防止、選挙腐敗防止をきちんとやることで、金権政治家、利権政治家をバタバタ落とす。そして、金はなくとも能力はあるという若い政治家を議会に導入する。そうやって人材の入れかえを図らない限り、日本の政治の本当の再生はないだろう。かつての腐敗政治家たちが集まって、新しい政党の看板をかけただけで、政治改革の旗手よばわりされるようでは、本質的なものは何も変わらない」

個人的に、あの1993年以来、小沢一郎を応援している。しかし、こうして田中角栄式を踏襲した政治家として小沢一郎を見たとき、「これで本当にいいのか」という気持ちが湧いてくるのが抑えられない。それでも、絶対権力は絶対的に腐敗するのであれば、今はこうするしかないのだと信じたい。それは一種の思考停止かもしれないが。