黒木登志夫先生の「落下傘学長奮闘記」を読んだ。
- 作者: 黒木登志夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/03
- メディア: 新書
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癌遺伝子の分野でのリーダーだった黒木先生が岐阜大学の学長になられた時はニュースになった。
黒木先生のイメージと、大学の管理・運営ということに随分な距離があったからである。
この本は01年から08年までの7年間(つまり真ん中に大学法人化が来る)の黒木先生の学長としての活動の多方面にわたる記録である。
岐阜大学は、89ある国立大学法人の20位前後であるらしい。有力地方大学といったところ。
この本には、以下のようなことが書かれている
・大学がどれだけ集中砲火にあって法人化においこまれたのか。
・運営費交付金の年1%の削減を岐阜大学はどうやりくりしたか。
・病院運営費交付金が毎年収入の2%ずつ削減されていることで、大学病院がどれだけ苦しい状態に置かれているか(医学部のキャンパスで暮らしながら全然知りませんでした。これはもっとアピールすべきでしょう。大学病院が破綻すれば、大学全体が倒壊しかねないので、他学部にとっても他人事ではない)
・アイデアマンとして知られる黒木先生が、岐阜大学で何を試みたか(感心します)
・具体的にどれだけ東大が1人勝ちしているか(これはマスコミでもよく報じられている話)
・学長はどれくらい忙しいか(週に会議5回、挨拶2回、出張1回)
将来ラボをもてるとしたらたぶん地方大学であろう立場としては、読むにも力が入る。
特に心に残ったのは2つ。
① 経済界・財務省が競争的資金の充実と運営費交付金の削減を進めるにあたってのアドバルーンは「選択と集中」だ。実際に研究現場が世界的競争にさらされている状況でこの言葉に反論するのは難しい。(経済の分野における「グローバル化」と同種のマジックワードである)
地方大学の学長としては、「選択と集中」の重要さを認めつつも、「なぜ地方大学をactiveな状態で残さないといけないか」という立場の論拠が必要になる。ここで黒木先生が挙げるのは、多様性・寛容性・持続性である。言われてみたら当たり前のことだが、「選択と集中」と言う爆弾の火力の前に黙しがちな大学人としては、多様性・寛容性・持続性を確保するというのはいい目標である。
②「なぜ教育に国がお金を出さなければならないか。国立大学を廃止し、私立にしてもよいのではないか。つつき詰めて考えるとわからなくなってくる。納得のいう答えは、宇沢弘文著「社会的共通資本」に見出す事ができた。
文化的で豊かな生活、魅力ある社会を持続させるために必要なのは、「社会的共通資本」であるという。それは、資本主義経済においても、私的に管理運営される「私的資本」とは異なり、社会全体の共通の資産として、社会的に管理運営されるべきである。「社会的共通資本」には、大きく自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の3つのカテゴリーにわけることができる。制度資本の中でも社会にとって最も重要なのは教育と医療であり、「市場的基準を無批判に適用して競争的原理を導入」することを、宇沢弘文は戒めている」