エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

雑文集

火曜日からしばらく外国のお客さんがラボに滞在するので、ホームパーティー用にネットで少しいいイタリアワインを注文する。知り合いの先生から「彼はナイスガイだ」と聞いてはいるがどうなることやら。


村上春樹の「雑文集」を読む。

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

新千歳空港の本屋で買って、帰りの旅程でゆっくり味わって読んだ。雑文というだけあって、書かれた時期は随分分散している。そのときの自分の事情や心持を思い出しながらひとつひとつ読んでいくと、「結局まあそれほど悪くなかったな」という気持ちになる。それが私が村上春樹を好む理由だ。


オウム心理教信者のインタビューについて
「そのようなタイプの人々は―まわりからあるいは「変わり者」「おたく」と呼ばれるかもしれない―どのような社会にも一定のパーセンテージで存在するはずだ。そして日本のこれまでの社会は多くの場合、彼らを有益なスペシャリストとして進んで受け入れてきた。彼らの多くは企業にはいって研究者となり、あるいは大学に残って学者になり、新製品の開発や、専門的研究に成果を収めた。彼らは彼らなりに「日本産業株式会社」の構成員として活躍の場を与えられてきたわけだ、社会の中に彼らを積極的に受け入れるだけの余地があり、また受け入れられることによって、彼らの方もそれなりに成熟し「社会化」を遂げてきたのだ。
しかしある時点で、彼らは社会システムに「受け入れられる」ことを逡巡し、拒否しはじめたのだ。これは重大な転換だった。いったい何が彼らをこのように変化させたのだろう。答えははっきりしている。社会自体の目的の喪失だ。もう少し具体的に言うなら、目に見える目的の喪失だ。「社会化」されることが自明な善でなくなったときに、彼らは「ノー」を宣言するようになったのだ。それは反抗というよりは、むしろ率直な疑問の延長上にあるものだった」
この記述には半分深く同感し、半分は違和感を覚える。確かに20年前に周りにいた知人の顔を思い出すとこの指摘はいろいろな意味で当たっていると思う。一方で、今、周りにいる同様の世代の人たちに接して感じることはこの指摘とずれていると感じる。そのずれが、こちらが単に歳をとったことを意味しているのか、何か別の大事なことを意味しているのかはきちんと考えなければいかないことだと感じている。