エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

時間のパラドックス

朝の天気図を見て秋だなと思っていたら、確かに今日は少し凌ぎやすかった。M社との共同研究でYさんとAさんがやってきて、午前中はそればかりで過ごしてしまった。Yさんは最近転職してM社に来たばかりだそうだ。景気が後退局面に入ったので、一時上向いた転職市場もまた沈んでしまうのだろう。

中村秀吉の「時間のパラドックス」を読む。

哲学の立場からの時間論。前書きで
「科学、とくに物理学の扱う時間は、結局のところ、空間化された時間である。--主体や行為との関連なしには時間は考えられない]とあったので、期待して読み進んだが、あまり斬新な話はなかった。

こと時間論に関する限り、やはり物理学や脳神経科学からの時間論の方が圧倒的に面白い。大森荘蔵の本で哲学を見直したが、「時間のパラドックス」を読む限り、普通の哲学にはどうも生産性に乏しい気がする。

熱力学の第二法則で時間の矢が基礎付けられるのではないかという点について、中村秀吉はこう書く。
「確率的な意味ではあれ、非可逆的な熱現象によって、時間の方向とその逆方向とが客観的な規準によって区別されるということがよく言われてきた。ところが第二法則は、その数学的構造を明確化してみると、数学的(確率論的)に必ず成立することがらの一局面を物理学的事象によって語っているにすぎないことが明らかになった。ーー
たしかにわれわれの体験する事象は第二法則・エントロピー増大の法則を裏書きする。しかしそれはわれわれの生活世界だけのこと、宇宙的規模で言えば、案外近い過去から近い将来にわたってだけ観察されることかもしれないのだ。もちろんわれわれはエントロピー増大を見込み、これを利用した生活智によって生きている。だからこの傾向が続かない限り生活することができない。だがそれはわれわれを取り巻く時間・空間的に狭い世界だけの傾向にすぎないかもしれない。したがって時間の方向を取り出す客観的根拠とはならないのである」
この本が書かれた昭和55年にはこの議論は成り立ったかもしれないが、近年の宇宙論の急展開、特にビックバンからすると中村秀吉の考えは当たっていないと言っていいだろう。

時間論については、ジュリアン・バーバーの"The End of Time"を悪戦苦闘しながら読んでいる。ようやく8割まで読み進んだが、「時間は存在せず、動き(motion)は純粋な幻想である」というバーバーの言いたい事がどうもいまひとつ腑に落ちない。時間論は難しい。