エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

春近し。時間とは何か、空間とは何か

今日は春近しを思わせる日差しの明るい一日。花粉症で外出を控えていたが、あまりの散歩日和に眼鏡&マスクの完全防備で下の子と下鴨神社まで出かける。糺の森で探検ごっこに出かけた子どもを待つ間、iPod竹内まりやのImpressionsを聞く。

ついに、ブライアン・グリーンの"The Fabric of the Cosmos"の翻訳「宇宙を織りなすもの」が出た。

宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上

宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上

宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下

宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下

ブライアン・グリーンは第一作の「エレガントな宇宙」でイメージと抜群の比喩で見事にひも理論の最先端までを描ききって、一挙に「書ける物理学者」のトップランナーとなった人物。

その彼が、「時間とは何か、空間とは何か」という根源的問いに真正面から取り組んだ"The Fabric of the Cosmos"の存在を知って即購入したまではいいのだが、500ページのペーパーバックを前に半年積ん読が続いた。どうも気になって仕方がないので、ようやく読み始めたら余りの面白さに止まらなくなり、こつこつと3分の1を読んだところで、生協書籍部で翻訳を発見(これが上下あわせて800ページ)。ともかく中身知りたさにこれも即購入して、読みふけった。「時間とは何か、空間とは何か」と聞いてわくわくする人間には必読でしょう。

内容は大きく3つに分かれる。
第一部、第二部でニュートン力学相対性理論量子力学から見た時間・空間論を扱う。ここが格別に秀逸だった。
第三部は宇宙論、第四部ではひも理論/M理論から見た時間・空間論。
第五部は、未来の理論ではこうなるだろうというぎりぎりの語り口。

<第一部、第二部>
ニュートンのバケツ」という絶妙の思考実験が紹介される。からっぽの空間で回転するバケツに入っている水面は真ん中がくぼむが、そのバケツは何に対して回転するのかという話。

「ほかに何もないからっぽの空間で、バケツは何に対して回転するのだろう?ニュートンによれば、その答えは絶対空間なのだった。マッハによれば、バケツが回転すると述べる事にすら何の意味もない。そしてアインシュタイン特殊相対性理論によれば、その答えは絶対時空なのである」
特殊相対性理論は、絶対時空という、きわめて重要な新しい絶対性を持ち込むのである。特殊相対性理論にとって時空が絶対的なのは、ニュートンにとって空間と時間が絶対的なのと同じことだ」
「時空は、運動の基準となれるほどの実体性をもつのだろうか?これについては今も議論が続いているが、アインシュタイン一般相対性理論をできるだけ素直に読めば、「時空は運動の判定基準になることができる」というのが現状の理解だ。時空は、実体性を持つ「もの」なのである」

「こうして、もしもあなたが、「宇宙は、今あなたの心の中にあるストップモーション画像に含まれている事物でできている」と考え、「あなたの今は、空間内のはるか遠くで自由に運動できる別の人物の今と対等だ」と認めるなら、宇宙には、時空内のあらゆる出来事が含まれる事になる。これは食パン型時空は実在するということだ。私たちは、空間には広がりがあると思っているが、時間も広がりを持って実在している(過去も未来も実在している)と考えなければならないのである。過去と現在と未来には、明確な区別がありそうに思われるかもしれない。しかしアインシュタインが述べたように、「合理的な判断をする私達物理学者にとって、過去、現在、未来の区別はそれがいかに執拗なものであれ、幻影にすぎない」のである。実在しているのは、全体としての時空だけなのだ」

唖然としたのは、「熱力学第二法則を過去に適用したらどうなる?」という話。要するに時間の矢といっても、エントロピーは増え続けるわけだから当たり前でしょう、と思っていた(であろう)大部分の読者はここで背負い投げをくらう。

「注目すべき重要なポイントは、熱力学第二法則は、ニュートンの運動法則に確率論の論証をあてはめることによって得られた派生物にすぎないということだ。このことから、シンプルだが驚くべき問題の核心に到達する。ニュートンの物理法則には時間の向きは組み込まれていないのだから、「物理系は未来に向かってエントロピーの低い状態から高い状態に進展する」と論証したときに使った論理は全て、過去に対しても全く同じように使えると言う事だ。さらに言えば、基礎となる物理法則は時間反転対称性を持つため、私たちが「過去」と呼ぶものと「未来」と呼ぶものとを、区別さえできないのである」

「物理系のエントロピーは、私たちが「未来」と呼ぶものに向かって増大する確率が圧倒的に高いだけでなく、「過去」と呼ぶものに向かって増大する確率も、それと同じく圧倒的に高いのである」
「これはしばしば見落とされる重要な点だ。無秩序へと向かう抗いがたい傾向があるといって、星や惑星や、植物や動物のような秩序ある生命形態が形成されないとは限らないのである。秩序は形成されうるし、現実に形成されているのは明らかだ。熱力学第二法則から必然的に導かれるのは、一般に、秩序が形成されたとしても、それを埋めあわせた上に、さらにおつりが来るほどの無秩序が生じるということなのだ」
「秩序を生み出す究極の原因、エントロピーの低さの源は、ビッグバンそれ自体でなければならないのである。宇宙が生まれたばかりの時には、確率論的な考察によれば、ブラックホールのように大量のエントロピーを抱え込んでいたと考えられるが、実際にはそうではなく、誕生間もない宇宙は、ともかくも高温で均一な水素とヘリウムの混合物で満たされていた。そういう均一のガスの状態は、密度が極めて小さくて重力を無視できる時にはエントロピーが高いのだが、重力を無視できない場合には話は変わってくる。重力が無視できなければ、均一なガスはエントロピーがきわめて低い状態なのである。ほぼ均一なガスは、ブラックホールとは異なり、途方もなくエントロピーが低い。その後、宇宙全体としてのエントロピーは、熱力学第二法則にしたがって次第に増大していった。宇宙全体としての正味の無秩序はしだいに増大したのである」

それはつまりこういうことを意味する。
「初期宇宙の特殊な物理的条件(ビッグバンの瞬間、ないしその直後のきわめて秩序の高い環境)が、時間に「向き」を刷り込んだと考えられる。ちょうど時計のぜんまいをきりきりと巻き上げるようにして、秩序の高い状態を作り、時間を未来に向かって流れるようにさせたのだろう」

普通の本ならここで止まるところだろうが、ブライアン・グリーンは、第三部で宇宙論を熱っぽく語り、「初期宇宙の特殊な物理的条件」を緻密に描き出す。

「インフレーション期の激しい膨張が終息する頃には、宇宙は途方もない大きさに膨れ上がり、宇宙空間のでこぼこは大きく引き伸ばされて、ほぼ無視できるほど平らになった。そして、インフラトン場がポテンシャル・エネルギー・ボウルの谷底に滑り落ちてインフレーション期の膨張が終わると、インフラトン場は抱え込んでいたエネルギーを放出し、空間のいたるところをほぼ均一な普通の物質で満たした(量子の揺らぎに起因する、小さいこれども重要な非均一性は別として)。これが明らかになったことは大きな進展である。インフレーションという道を歩いて私たちが到達した場所、すなわち、平坦で均一な空間に、物質がほぼ均一に分布している宇宙こそは、まさしく私たちが説明しようとしていたことだ。時間の矢を説明するために私たちが必要としていたエントロピーの低い宇宙が、インフレーション理論から導かれたのである」
ここは絶妙のイラストで肝は一目でわかるようになっている。すごいなあ。

第四部の「ひも理論/M理論」は3分の2までは、「エレガントな宇宙」をコンパクトにまとめたものなので、少し物足りない感じ。「エレガントな宇宙」を先に読むことをおすすめします。

新味は、「ブレーンワールド・シナリオ」だった。

ニュートンライプニッツ、マッハ、アインシュタインが三次元空間と読んだものは、実はひも/M理論における三次元の実体なのではなかろうか?相対論的に言えば、ミンコフスキーとアインシュタインが開発した四次元時空は、実は、時間と共に展開していく3ブレーンの軌跡である可能性はないのだろうか?つまり、私達の知るこの宇宙は一枚のブレーンなのではないだろうか?」

その話の展開はこうだ。

「もしも私たちが3ブレーンの中に住んでいるのなら、「三次元の宇宙空間は実体なのか?」という古くからの疑問に対し、これ以上はありえないほど明確な答えが得られる。「宇宙空間はブレーンであり、明らかに物理的実体である」と」

第五部「未来の理論」のおいしいところは、<ホログラフィック・ユニバース>。

ブラックホールエントロピーを気にかけなければならない理由は、物理学者にとって、ある空間領域に含まれるエントロピーの上限は、ほとんど神聖不可侵といっていいほど重要な量だからだ(中略)
 もしもあらゆる空間領域において、そこに含まれるエントロピーの最大値が、体積ではなく表面積に比例するというなら、真の基礎的自由度は(自由度があってはじめて無秩序が生じる)、その領域の内部ではなく、その領域の表面に属しているのではないだろうか。ひょっとすると宇宙の真の物理的プロセスは、私達を遠くで取り巻いている薄っぺらな表面の上で起こっているのあって、私たちが見たり経験したりするものは全て、そのプロセスを投影したものなのではないだろうか。要するに、宇宙はホログラムのようなものかもしれないのだ」

「今やひも理論は、少なくともある状況下では、ホログラフィーという概念を支えるだけの力があることがわかったのだ。そしてこのことは、時空が基本的なものではないことをほのめかすのである。なぜなら、ある理論のある定式化を、それと等価な別の形式に翻訳すると、時空のサイズと形だけでなく、空間が何次元であるかも変わるからだ。

 以上のような手がかりから、時空の形は宇宙の基本要素ではなく、物理理論の定式化によってかわるような性質のものであり、宇宙に魅力を添える飾りに過ぎないという結論がはっきりと示唆される。−

 宇宙を解明するためにどれか1つの理論を使っている観測者には、時空はなくてはならない実在物のように思えるかもしれない。しかし、もしもその観測者がその理論を翻訳して等価な理論にすれば、それまではなくてはならない実在物と思われていたものまでが変化してしまうのだ。したがって、もしもこれらの考え方が正しければ、空間と時間はもっとも基礎的なものだという考えに大きな疑問符が付くのである」

宇宙がひも理論/M理論の示すその最小のサイズよりも小さくなれば、何かもっと穏やかで、特異的でない物理量が重要になる。そして、時空は、そのより基本的なものから立ち現れる、というのが結び。

LHCも、重力波の観測も、SNAPをはじめとする宇宙の観測もたっぷり考える材料を提供してくれそうで、物理学はとても楽しい時代に来ているのだとわくわくしながら読み終わった。

読後感のひとつ。リー・スモーリンの「迷走する物理学」を読み直さなければ。