エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

大文字焼きと満州

昨晩は大文字焼きだった。近くの小学校の3階が見物のために開放されている。大文字焼きは、大、妙法、鳥居型、舟型、左大文字だが、小学校からは妙法がかぶりつきで見える。8時になるとまず大の字に火がともる。少し離れて見ると、これが送り火であることがよくわかる。懐かしい死者の顔、生きていて欲しかった人たちのことをしばらく考える。10分ほどして、妙法がともる。こちらはすごい迫力で、薪のぱちぱちはぜる音が届いてきそうである。火が揺れる。だんだん暑さを感じてきて早めに引き上げる。大文字焼きが終わると気分は晩夏である。

佐野眞一の「阿片王」を読む。

阿片王 満州の夜と霧

阿片王 満州の夜と霧

祖父は台湾鉄道で働いていた。父は子供時代を台湾で送った。満州国というと、台湾の兄貴分というかその拡大版のような少し親しい気持ちがある。草柳大三「実録満鉄調査部」あたりを読んだのはそういう気分の続きであろうか。

そうした甘い気持と全く異なる裏側の満州史をたっぷりと読ませるのがこの「阿片王」である。主人公は里見甫(はじめ)。東亜同文書院を卒業し、記者として軍部と中国に人脈を広げ、満州メディア統合を30代で成し遂げ、その後上海に移って、莫大な阿片取引を取り仕切った人物だ。

佐野眞一は、里見甫の怪物性を犀利に描いている。私欲がなく、阿片取引をビジネスとして淡々とすすめ、一方で世間の外に出てしまったようにたがのはずれた振る舞いをする人物として。

満州は負のイメージで語られるケースがほとんどである。昭和七年三月、東アジアの一画に忽然と出現し、昭和二十年八月に跡形もなく消え去ったこの人造国家は、侵略された中国にとってはあくまで”偽満州”であり、「満蒙開拓団」としてこの地に入植した日本人にとっても、満州行きは”棄民”の意味を帯びていた。−−−
 満州がそうした暗い面を夥しく内包していたことは確かである。しかし、少なからぬ人々が満州の上に見果てぬ夢を思い描いていた事もまたゆるぎない事実である。日本人にとって満州は、戦後の高度経済成長を約束する壮大な実験場という側面を持っていた。
 満州の荒野を驀進する特急「あじあ号」のスピードは、東京オリンピックが開催された昭和39年開業の新幹線「こだま」の速度と同じだった」

山室信一は、満州は日本近代史の中で、擬似亡命空間、唯一のアジールではなかったか、と述べている」

「中国人民は、甘粕の謀略にも里見の宣撫にも、ほとんど心かき乱される事なく、大河の流れにも似た有給の歴史を刻んだ。甘粕も里見も、行けども行けどもたどり着けない満州の地平線にも似た徒労感にとらわれつづけなのではないか。
 しかし、里見も甘粕も賽の川原に石積みするにも等しい行為をやめることなく、時代の狂気そのままの暴走をさらに重ねていった」

「アヘンがあれば国家はいらない。快楽があれば軍隊はいらない。中国人以上に中国人を愛し、ほとんど中国人になりきった里見は、そんなアナーキーな、というよりは、まつろわぬ者の不逞やくざな思いに捉われていたのかもしれない」