リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」を読んだ。
- 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/25
- メディア: 単行本
- 購入: 14人 クリック: 257回
- この商品を含むブログ (183件) を見る
爽快な本である。激しい夕立の後の強烈な日差しのように。進化学界きっての才人ドーキンスが、なぜ宗教を全否定しなければならないかを、考え付くあらゆる論点から説いてうまない。
進化論を心から信じていれば無神論者にならざるを得ない、とドーキンスは語る。そこには心静かに考えてみなければならない問題がありそうだ。普通人はそこまでつきつめて考えない。少なくとも私はそうである。私の中で、浄土真宗を信じていること(たぶん正確には天地有情という意味での汎神論を信じているが)と進化論を信じていることは溶け合っている。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教ではそうはいかないとしたら、やはりそれは西洋文明の不幸としか呼びようのないことではないだろうか。
アメリカはキリスト教ファシズムの淵に沈もうとしているのかもしれない。
アメリカのタリバンはこう主張する。
「私はおまえたちの上に、不寛容の波がどっと押し寄せる事を望む。そうだ、憎しみは正しいのだ。われわれが目標とするのはキリスト教国家の建設である。われわれには聖書に定められた義務があり、われわれはこの国を征服するように神に命じられている。われわれは敵に自分達と同等の時間を与えるつもりなどない。われわれは多元主義を望まない。われわれの目標は単純でなければならない。われわれは神の法、十戒に基づいて構築されたキリスト教国家をもたなければならない。言い訳は無用だ」
一方で、ドーキンスの知性はこのような問いも発する。
「宗教はそもそも、人生において子供がピンカー(子供が自分用に作り出す幻影的友達)を諦める瞬間を何世代もかけて徐々に引き伸ばしていくことによって進化した−進化を通じて人類が額の平さと顎の突き出しを弱めてきたのとまさに同じように−のだということはありえるのだろうか?」
毒消しに、少し仏教の本を読んでみよう。