エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

不可能、不確定、不完全

今日は昼間は温度が上がり、庭の黄水仙がきれいに見える。海棠を買おうと話しているのだが、どこに植えるか話がまとまらない。


ジェイムズ・D・スタインの「不可能、不確定、不完全」を読む。

不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力

不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力

「〜できないことの証明」の話。主に不確定性原理、不完全性原理、不可能性定理をとりあげて、数理科学が「限界」を扱う見事な手際を説明している。肩のこらない本で読んでいて楽しい。


「物理学界は現実に関する究極の理論を熱狂的かつ楽観的に追い求めているが、思い起こさずにいられないのが、現実の宇宙で知りうることの限界に関して私たちが前世紀に学んだことだ。話の結末が、「現実の究極の性質は私たちから永遠に隠されている」ということになるケースが、少なくとも2つ考えられる。ひとつは、プランク長さとプランク時間のスケールにおいては時空の性質があまりにカオス的で、時空の性質のいくつかを決定しようにも、私たちには十分な精度で物事を測定できないという成り行きだ。もうひとつは、最終的に現実の記述に用いられる何らかの理論の公理構造が複雑であるあまり、決定不能命題―またはそれに類するもの―が許されてしまうという幕切れである。この場合、ゲーデルが吟味した決定不能命題の対象が数学でなくメタ数学だったように、そうした決定不能命題は現実に対して何のインパクトもないということかもしれない。それとも、現実の究極の姿―空間や時間や物質の、いわば「原子」に当たるもの―は私たちの手には永遠に届かないと言っている命題がどこかに潜んでいるかもしれないということか。万物理論の探究は、算術の無矛盾性の証明というヒルベルトの願いと同じ運命を辿る可能性がある」
というような話を読みながら、後期の講義の案を練ってみる。