ニセコに移動。目抜き通りのあたりは日本離れした雰囲気でテレビでみたとおり。ただし、今日滑った人に聞くとここ数日は雪が降らず自慢のパウダースノー状態ではないそうだ。
新井紀子の「コンピュータが仕事を奪う」を読む。
- 作者: 新井紀子
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2010/12/22
- メディア: 単行本
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良書。小飼弾氏がコンピュータ(あるいは数学)の視点から高く評価していたが、神経科学から見ても大変面白い。同じ著者の「数学と言葉」は途中で止まってしまったが、この本は一気読みできた。
コンピュータで代替できない人間らしい能力とは抽象化だ、というのが著者の結論。たとえばあれとこれは似ているという感覚。「どう抽象化するか」とは確かにいかにもアルゴリズムに乗らなさそうだし、一回性が強すぎて、機械学習でも手が出なさそうである。
「「科学で解明する」とは、誤解をおそれずに言えば、関心のある現象に登場する変数どうしの関係を式として表現できた、ということを意味することになるのです。このように、観察された事柄を数学の上に翻訳することで、数学の手法で解明できる状態にすることを「モデル化」と呼びます」
「「人間でも、どう解決したらいいかよくわからないこと」をコンピュータで解決しようとすると、莫大な費用がかかる上に、ろくな成果が得られないという羽目に陥るのです」
「人間らしく振舞う上で、意味の理解は必要不可欠かどうか―この問いに対する答えは、まだ情報科学においても哲学においても出ていません」
「科学の発展のきっかけを作る、本質的な論文の多くが、このシャノンの論文のようにシンプルかつ頑健、という性質を持っています。それは、玄人は虚をつかれる一方、素人は「うん、ふつう、そう考えるはずだよね」と思うようなアイデアなのです」
そのために著者が薦めるのが「数学を第二言語として使う」ということだが、それについてはまあ別の方法もあるよね、というのが現場の実感です。
「その波に圧倒的に乗り遅れているのが日本です。日本では、数学とは「役に立たない教養」だという認識が蔓延している珍しい国だといっていいでしょう。ライフサイエンスの研究チームに、数学をバックグラウンドに持つ研究者を引き入れられるかどうかによって、出力に圧倒的な差が出るというのは、アメリカでは既に常識です。学問だけに限らず、新しいイノベーションを起こそうと思ったら、数学を避けてとおることはできないのです」
これも程度問題で、やってやろうという生物学者はほぼ必ず数理解析の威力を認識していろいろ組もうとしている。たしかにスムースにいっているケースは少ないが、それはたぶんに日本のカリキュラムが縦割り過ぎて共通言語を話せるまでに時間がかかるせいであって、認識不足からきているのではないと思う。
「あと数年で、人間の脳の計算能力を超えるスパコンが登場すると予測されています。あと20年もすれば、家庭用コンピュータでさえ人間の脳の計算能力を超えるかもしれません。それでも、やはりコンピュータにはケプラーの代わりはできないと断言できます。こういうと、「それが不可能であることは証明できないでしょう?だとしたら、ものすごいコンピュータが登場したらできるかもしれないじゃないですか」と反論する人がいます。ですが、やはり無理でしょう。なぜなら、それを可能にするための数学の理論が今はまだ存在しないからです。
科学にイノベーションが起こるには、それに先立って数学にイノベーションが起こらなければなりません。科学が数学の言葉で書かれている限り、それは決して変わりません」
人間らしさを追及すると、最終的には抽象化能力を説明できればいいのか、というのがとりあえずの短絡的結論。