エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

量子の海、ディラックの深淵

随分日が長くなったが、今日は風が強く散歩日和ではなかった。


グレアム・ファーメロの「量子の海、ディラックの深淵」を読む。

量子の海、ディラックの深淵――天才物理学者の華々しき業績と寡黙なる生涯

量子の海、ディラックの深淵――天才物理学者の華々しき業績と寡黙なる生涯

ディラックの名前は物理を勉強した者には特別の意味を持つが、アインシュタインやボーア、ハイゼンベルク、パウリに比べるとその人となりはほとんど知られていない。最大の手がかりはあの完璧な教科書「量子力学」だが、これくらい人間臭さを感じさせない本も珍しい。

そのディラックの初の本格的評伝がこれなので、読まずにはいられない。


ディラックは物理学者としてどうかといえばこういう評価になる。

「ボーアにとってディラックは、「おそらく、極めて長いスパンで考えてもただ一人、抜きん出た科学的精神」であり、「非のうちどころのない論理の天才」であった」

「ウィグナーも、彼に対するその評価には全面的に賛成で、こんなふうに言った。「ファインマンは第二のディラックだ。唯一の違いは、今度のディラックは人間だということだ」。」


また、ディラックの業績(たとえば相対論的量子力学の方程式の導出)に見られる特異性は以下の記述がぴったりだろう。

「ボーアが数学をどのように見なしていたかは、ディラックが言葉をどのように見なしていたかということとまったく同じだった。すなわち、自分を他者にわからせるための手段としてほとんど必要のないものと見なしていたのである(オッペンハイマー)」

ディラックのアプローチがこれほどわかりにくかった理由のひとつは、彼が極めて珍しい「複合体」だったことにある。理論物理学者、純粋数学者、そして技術者が少しずつ混ざり合った存在だったのだ。自然の根底に存在する法則を知りたいという物理学者としての情熱と、抽象化のためだけに抽象化を愛する数学者としての意識と、理論は有用な結果を提供しなければならないという技術者の固執ディラックはこの3つを全て持っていた」

「さっと目を通せば、ディラックが書いたものだということがボーアにははっきりわかったことだろう。無駄な装飾のない説明、第一原理から論理的に主題を構築していること、そして、歴史的観点や微妙な点についての哲学的なアプローチも、説明のための計算も全く見られないこと、これらはまぎれもなくディラックの文章のしるしだった」


だからこそ、本のほとんど最後に出てくる晩年のディラックを訪ねたひも理論の研究者ラモンドが語ったというこの話は衝撃だ。

ディラックはすぐさま返事をした。「ノー!話すことなど何もない。わたしの人生は失敗だったんだ!」
ラモンドは、ディラックに野球のバットで脳天を打ち割られたとしても、そこまで驚かなかっただろうというほどの衝撃を受けた。ディラックは少しも感情を見せることなく、自分が今言った言葉を説明した。量子力学は、かつては前途有望な理論だと思えたが、結局、一個の光子と相互作用している一個の電子というような単純きわまりないものすら、うまく説明できなかった―計算してみると、無限大が随所に登場する、意味のない結果しか出てこなかった。どうやらディラックは40年近く繰り返してきた、繰り込み理論に対する反論を、半ば無意識的に話し続けているようだった」

最後の1章に書かれているように、おそらくディックは高度自閉症者で、また父もそうだった可能性があり、彼の育った家庭は(少なくとも主観的には)通常のものではなかっただろう。彼がボーアの家庭にあこがれたこと、ハンガリー人の妻との間の書簡を読むと、「非のうちどころのない論理の天才」も抱えざるを得なかった闇がおぼろげに感じられる。


あの「量子力学」の書き手がこういう人生を送ったことを知っていれば、あの時にもう少し違った読み方ができたかもしれないと思った。