エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

変分問題としての量子化

今日の京都は梅雨の中休みで、午後からさわやかに晴れた。懸案だった実験もうまくいって夕食前のアイスクリームがおいしい。

保江邦夫の「量子の道草」を読む。

量子の道草―方程式のある風景

量子の道草―方程式のある風景

保江邦夫は気になる物理学者のひとりである。量子場の確率論的基礎づけが専門ということになっているが、「数式の美しさ」を語らせたら只者ではない。そんな保江邦夫が、ディラック方程式シュレーディンガー方程式、伊藤方程式、オイラーラグランジュ方程式の美しさについて、あたかも名画を見るように鑑賞の手引きを書いたのがこの本だ。

ところどころに、保江自身の物理学者としての個人史が挿入されているが、それもまたなかなか読ませる。いい時代だったんだなあと思えてくる。

シュレーディンガー方程式は量子力学を教室で習った人間は必ず知っているわけだが、その導出が「後付け」だったというのをこの本ではじめて知った。量子力学は、「ディラック」「メシアン」「シッフ」と3冊通読したが、何だかどれにもそのあたりの事情は書いていなかった気がする。

早い話が、シュレーディンガーは、シュレーディンガー方程式をひらめきでみつけたのだが、その頃の彼は地方大学の無名教授にすぎなかったので、自分のみつけた方程式を納得してもらうために、何らかの理屈付けを必要とした(今となってはそれを誰もほじくらないのは、単にその方程式が恐ろしいまでの予測力を持つということに過ぎない)。そこでシュレーディンガーが仕掛けた大博打が「変分問題としての量子化」だ。そうだったのか、という感じ。

「変分と呼ばれるこの筆運びのおかげで、古典力学の基本方程式のひとつであるハミルトン-ヤコビの絵から、量子力学の基本方程式としてのシュレーディンガーの傑作を生み出すことができるのだ。このような方程式は一般には変分方程式と呼ばれ、それを解く問題は変分問題と呼ばれている。いいかえれば、シュレーディンガーがたった1ヶ月の間にひねり出した理屈は、古典力学から量子力学へと移る「量子化」を変分問題にすり替えることだったのだ」

虚数時間のシュレーディンガー方程式とその共役方程式(およびその確率解釈)が意味するところは、過去から未来へと変化してきた波動関数の現在の値と、未来から過去へさかのぼってきた共役波動関数の現在の値との積によって、現在の確率分布密度が与えられることだ。過去と未来の両方についての境界条件を知った上でなければ、量子力学を現在にあてはめることはできない。
いまの量子力学では、たまたま誰もこんなことに気がつかなかったために、過去の初期条件だけ与えて、後はそれがシュレーディンガー方程式で未来に向かってとことん変化していった先での値を、そのまま未来での終期条件に読み換えてから、逆に共役方程式で現在に引き戻して使っているにすぎない。だが、本当は未来で観測することによって得られた終期条件は違ってくるはずだ。このへんのことが正しく認識されていないために、普通の量子力学の枠組みの中では、いつまでたっても観測問題は解決されないのだ」

こういう調子で200頁近くがんがんとやられると、随分と脳みそを揺さぶられる。