エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

自閉症の現象学

午前中は研究室。来年度のラボメンバーの構成を考える。


村上靖彦の「自閉症現象学」を読む。自閉症の現象学


自閉症児は、さまざまな感覚・知覚の統合能力が弱いことにより、定型発達者のような奥行きのある(あるいはたやすく情動などと結合できる)世界観を獲得できないのだ、というのが著者の結論のようだ。

なぜか。

容易に想像できるのは、脳の各領野の連絡の不全、つまりneuronal wiringの不全による、という仮説だ。さらにいうと、自閉症にmitochodriaのdysfunctionが見つかるという最近の知見からすると、それによる順行輸送のdefectが、個々のニューロンのターゲッティングを困難にしているという仮説が導かれる。

「そもそも自閉症児は身体感覚が弱い場合が多く、さらに知覚対象が客観世界に定立されたものとして成立していないので、自己と世界の区別が曖昧であると思われる」

「このように感覚的印象に共鳴する状態がおそらく自閉症児の経験世界の出発点となる。他者がいなくなり、事物の対象性・文化的意味が失われ、自己感とくに身体感覚も失われて、紅色とそれが触発する恍惚とした快感だけが経験野を占めることになる」

「自分の体が体験されない以上、自己と他者、自己と事物が区別されない。正確には自他未分ではなく自他不在である。これが感性的印象との共鳴の内実である」

「子どもが新たな次元に参入すると同時に、以前から成立していた次元もその意味付けが変化する。自己組織化はするけれどもこちらに迫ってくることはない感性野のなかに、「こちらに向かってくるベクトル」が生成し、それを中心として感性野が再編される。こうして生きものと無生物の区別が生まれる」

自閉症児は予持の地平が制限されるだけでなく、予持を超える出来事を受容することが困難であり、この点が彼らの時間意識の本質である。逆に、定型発達はある程度の範囲なら、予期し得ないできごとを受容できる。定型発達の場合は、予持の地平の彼方に、予期し得ないがしかし受容可能なものの地平(非侵襲的な驚きの次元)が拡がっているのだが、自閉症児にはこれがない」

自閉症児の知覚は、細かいディテールを注視するために全体像を見ない。たとえば、口や鼻といった部分に注目してしまうので、顔全体を表情として認識しない。これは部分と全体の関係に関わる問題である。−このような場合にはおそらく感覚を秩序づけるカテゴリー(経験を秩序付ける論理構造)がインストール(原創設)されていないのである」

「大事なことは、自閉症の人は彼らの仕方で、空間を構造化している、ということである。−まず、この空間意識は時間意識と相似的である。つまり定型発達では、長期記憶と見知らぬ空間を言語的に構造化するが、自閉症では知覚的な手がかりで整序する。多くの自閉症児の長期記憶は、彼らがしばしば持つ驚くべき記憶からもわかるとおり、映像記憶である。つまり感性的な印象がそのまま沈殿している。知覚と長期記憶が、同じ感性的な秩序として連続しているのであり、しばしばフラッシュバックを起こす。ところが定型発達の長期記憶は、大部分が(言語的な)意味の記憶である。感性的な秩序も保存されているが、通常は単独でよみがえることはなく、意味の記憶に付随して想起される。これは遠い空間を、自閉症児が知覚的な秩序と連続的に理解するのに対し、定型発達が意味のネットワークをもとにして秩序付けるのとまったく同じ違いである。
 そしてどちらの場合も、現実を次元かするかどうかの違いである。定型発達では、予測できない出来事を予測する働きが未来をつくり、得たいの知れない裏側という現実を欠損としてくくることで三次元が成立する。ともに現実を論理構造で隠蔽する。自閉症ではこの構造が創設されにくい」


時間について。
「未知の未来というものを知らず、過去が遠近感を持たない人がいる。これは時間が一直線に流れるとは限らないということを示している。哲学が知る時間とは別様の構造を持つ時間もありうるのではないか」

「素晴らしい記憶力を持ち、かつ言語を獲得した高機能自閉症の人において、それでもなお自分史の語りが難しいということは、知覚と過去の意味の成立と再生が別の事象であることを示している」

自閉症児は、時間流の感覚を持たない永遠の現在に生きている可能性がある」

「時間が流れる間隔の由来は何か。いままでの文脈から、非感性的な不測の事態の受容、つまりは現実の受容であると予想できる」

このあたりは大森荘蔵流の解釈で分かる部分もあるし、現象学が入り込んでかえって見通しが悪くなっている分もあるように感じる。


言語について。

「一部の自閉症者は言語を使わずに、映像で思考することが可能である。そうすると定型発達と自閉症に共通する「思考」の定義は、言語とは別の構造に求めなければならない」

「(1)私たちは語の発音や表記を良き(体験し)、(2)論理的・イデア的な意味の中に生き、同時に(3)対象を志向する。表現においてはこの3つが同時に作動する。定型発達の言語活動は、必ずこの三層の論理構造を持つ」

「その複雑さから考えると、恐らく自然言語における意味現象の起源は単一ではない。オノマトペにも歌にも叫び声にも還元できないし、指示・指差し・命名にも文法や理念性にも還元できないだろう」

「定型発達の場合、現実はそれ自体は了解不可能であるが、気分の源泉としての何かであり、認識論的には思惟を促す「謎」の起源であり、論理構造によって覆い隠される何かである。つまりこの空虚な点を中心として、様々な創造的な文化事象が構造化されている」

直接の関係はないが、こういうことを読んでいると、言語の難しさはsemanticsにあるという気がする。


現象学について。

現象学は、反省という古典的な手法から解放される必要がある。直接体験できない現象、反省によっては届かない経験構造の現象学に対しては、構築的現象学という名称が当てはまる」

「一人称的な記述だけでは現象学の可能性を汲みつくすことはできないのである」