エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

基礎科学の手つかずの大地について

昨日の荒天とは打って変わって、いかにも春という軽快な光の楽しめる一日。こういう日には何をしていてもどこか楽しい。


大野克嗣の「非線形な世界」を読む。

非線形な世界

非線形な世界

いい本というのは、「今まで考えてこなかったことを考えさせてくれる本」であり、「じっくり考えながら読むことが楽しい本」であると思うが(ここでは小説は考えていない)、その意味でこの本は実に優れている。この5年で一番楽しかったかもしれない。

大野克嗣はイリノイ大学理論物理学者で、たぶん統計力学あたりがもともとの畑のようだ。大きな流れとして、物理学者が「複雑系」というものに魅せられるようにして生物に深入りする時代であり、この人もそこに分類されるのだろうが、そう思って読み進めて最後の章にいたって実は全く違うことを考えていることを発見してびっくりした。

この人は方法論を自覚的に深いところまで反省し、その上にたって自分の科学と科学全体を捉えなおしている。その果てに見えているのは「基礎生物学」だ。(ここでの基礎は基礎物理学と同じ使い方であり、入門という意味ではない)


「複雑性へ」と題された最終章はこういう記述で始まる。

「「複雑」という概念が意味や価値を抜きにして語れない概念であることを反省し。その本質が生きもの(organism)と不可分であることを見る。これは従来の「複雑系研究」の大きな部分がまったく的外れであるということである」
「複雑という言葉の用法を反省すれば、「複雑性」は、多くの人に感じられているように、意味や価値などに密接していなくてはならない。意味や価値という言葉は生きものを離れて意味をなさない概念であることをすでにみた。したがって、われわれが現実に見ている「複雑性」の核心は生物現象なのである」

このあたりの議論はつきつめると山ほど紛れが多いが、塩基配列のある部分が特定の蛋白質をコードしているがゆえに(4種類の文字の並びにすぎないのに)「複雑さ」を持っているということが実感できれば、自然な展開と思えてくる。


そして、次にこういう方向に行く。

チョムスキーが喝破したことも、煎じ詰めれば「複雑さを短時間に生み出すには元になる複雑さが要る」ということだ。いわゆる「刺激の欠乏」は複雑性の本質を衝いている。これと物理のやってこなかったことには深い関係がある」

「複雑さを短時間に生み出すには元になる複雑さが要る」ということの好例は自然言語を子供が話せるようになる過程である。


巻末でこういう風景が見えてくる。

「もしも科学にまた革命があるとすれば、それはニュートン革命で照明を当てられなかったところの解析から来るのではないか?基礎科学の方向は、「補助条件」の中の普遍性の解析から来るのではないか。ここでいまの基礎物理の方向が行き詰ったなどと言っているのではない。しかし、現時点での基礎法則とされるもので理解できない現象が、基礎法則のさらなる「純化」で理解できるようにはならない。われわれのフロンティアは、物理の普通の意味の前線が野火のようにあっという間に通り過ぎた後に残った手つかずの大地のようなものだ。すでに論じたように、複雑系とは補助条件こそが核心であるような系である。したがって、この大地を耕すことが複雑系の研究であるはずである」


自分が一番考え込んだところだけを抜き出してしまったが、この本の前半8割は、本来的に非線形であるこの世界を「概念分析」「現象論」「モデル化」という道具で数理的に理解する方法の明快な記述にあてられており、全然ふわふわした話ではない。そういう意味では、この本の面白さはランナーズ・ハイに似ているのかもしれない。