エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

明日をどこまで計算できるか?

昨日、有楽町まで出かけたら、駅前のビルにクリスピー・ドーナツの店があったので、会議の後に寄り道して12個入りを買ってきた。チョコ好きの長男は大喜び。


デイビィッド・ボレルの「明日をどこまで計算できるか?」を読む。

明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性

明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性


・カオス…カオスは(予測する)科学にとってほとんど問題にはならない。なぜなら、カオスによる誤差の大半は初期条件によるものなので、摂動を与えた初期条件からスタートさせた数多くの予報を用いて、確率論的予報ができる。問題とすべきは、モデル誤差である。

「予測科学が、常微分方程式などの方程式を使いながら発展してきたのは、それが研究対象のシステムにぴったり合っていたからではない。常微分方程式が数学で解けるからだ。複雑な現実世界のシステムをモデル化するために方程式を使うと、深刻な問題にぶつかる。そうしたシステムが本質的に計算不可能であるということは、どんなにうまくモデル化しようとしても、最も単純で稚拙なアプローチと大して変わらないことになるのだ。モデルはどんどん精巧になっていくが、細かさを増すに連れて、パラメーターの不確実性は爆発的に増加する。システムを第一原理に還元できないので、私たちは、パラメーターの値と方程式の構造について、主観的な選択をせざるを得ない。モデルは、過去の出来事にうまく合わせられるようになることは多くても、予測が向上することはない」

非線形性と複雑系…(予測する)科学にとって、非線形性と複雑系は同等に重要であり、相互に還元不可能である(非線形性から複雑系が生じるわけではない。複雑系の本質は非線形性ではない)。非線形性の本質は、(i)異なるレベルが相互に干渉するために、特定のスケールだけを切り出して論じることはできないこと http://d.hatena.ne.jp/tnakamr/20100403/1270286562 (ii)非線形微分方程式は解析的には解けないし、仮にコンピュータにより数値的にその解を求めたとしても、その解から自分の知りたい情報を取り出すのは現実的に無理であること(箱に入った1モルの酸素分子の運動方程式を立てることはできる。現時点でも、スーパーコンピュータを使えば、数値的にその解を求めることはできる。その解は、原理的にはその箱に入っている気体の圧力や温度の情報を含んでいるが、現実には山ほどのジャンクの中から圧力や温度の情報を取り出すことはできない)である。

複雑系の本質は、局所的で特異的な選択から秩序が創発することである。数学的仮構から立ち現れるものではない。

複雑系は、分権化が進んだ民主主義に似ている。その決定は、局所的に行われた数多くの選択の最終結果なのだ。一方、常微分方程式は独裁政治である。物理システムは中央からの法則に抵抗することなく従う。前者では、情報は最下位から上へと流れ、後者では、上から下へと流れる」
「あるものに自由意志があるかどうかと考える場合、そのものの挙動をどの程度まで予測可能と考えるかにかかっていることが多い。あるシステムが完全に予測可能な場合、あるいは完全にランダムである場合には、私達は、そのシステムが外からの力を受けていると仮定しがちである。しかし、もしシステムがその中間的な状態で動いていて、その挙動には認識可能なある種のパターンや秩序があるものの、予測はまだ難しい場合には、私たちは、そのシステムが独立して動いていると考える。言い換えれば、私達があると仮定している「自律性」とは、そのシステムの複雑さの度合いなのだ」