エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

甘利先生の本質

今日は嬉しいニュースがあった。修士、博士と5年間一緒に仕事をしたA君が8月1日付けで同じ研究室の助教になることが教授会で決まった。これで本人も腰を落ち着けて今の仕事に全力投球できるようになるだろう。若い人がどんどん上がってくるので、こちらもそれなりに頑張らねば。

外山敬介と甘利俊一という日本の神経回路学をひっぱってきた大御所2人を囲んだ対談記録「脳科学のテーブル」を読んだ。

脳科学のテーブル (学術選書)

脳科学のテーブル (学術選書)

第1部は「神経科学と理論研究の交流から生まれたもの」でパブロフ、ゴルジ、カハールから始まってコネクショニズムを経て、将来の神経科学が展望される。

第2部は「ニューロコンピューティング研究は何を生んだか」で、パーセプトロンから始まって、甘利先生の大法螺で終わる。

非常に楽しく読んだ。科学史が最近面白く感じられるのは歳をとった証拠だろう。特に、大学院生で行き先に迷っていた時に甘利先生の「神経回路網」や「情報幾何学」に強烈にひきつけられた記憶がよみがえり、その頃の甘利先生が何を考えていたのかを読むと、今になって腑に落ちることがいくつもあった。

読んでいるうちに、以前から気になっていた計算論的神経科学を勉強したくなり、この本の編者のひとりでもある篠本滋先生のホームページで参考書を見つけてAmazonで早速注文する。

外山先生の昔話はやはり重みがある。
「「脳の活動、個々の神経細胞の活動が全部見える、仮にそういうことができたとしても相関主義の縛りは抜けられない」というのがシェリントンの主張なのです。つまり、観測された脳活動が随伴現象なのか本質なのか、仮に本質であったにしても、今流に言えば、その活動が一体何をコードしているのか、そういうことは永久に分からないだろう、というのです」
「南雲仁一さんが伊藤先生に言っていましたが、「神経生理学はヘッブで終わりですね、学習に関して言えばそれ以上のものは出ていないでしょう」と。確かにそうなのです」

一方でさすが川人先生は黙っていない。
「もう少し本質的に言うと、理論というのは間違っていて当たり前と思うのです。正しい理論なんて最初から出てくるわけはない。いつも書き換えられるわけです。理論の本当の価値というのは、どれだけ人々を興奮させて新しい実験を動機付けたか、とか新しい理論家をその分野に引き込んだかというところにあって、そういう意味でマーの小脳の理論は最高だった。ただ、正しいかどうかというのはまた別の問題」

マーはやはり本流のようだ。
「マーの研究の特徴は行動主義によっては到達できなかった高次脳機能を理解するに当たって、トップダウン的に「内部表現」仮説を提唱し、実験家にその検証を問いかけるというもので、今日では脳研究の標準的スタイルとして受け入れられるようになっている」

甘利先生のは本質をついているのか法螺なのかがよくわからない。
「回路網を理論の体系として扱っている仕事ってあまりないから、ちゃんと考えれば色々なことができるのではないか。「ちゃんと考える」というのは構造を持った神経回路網を考えるべきだということ。「構造を持った」というのは何かというと、一番単純なのは神経細胞がランダムに結合するという構造を持っていて、ランダムというのはいわゆる大数の法則中心極限定理が働くからやりやすいわけです。そこで何かできる。
もうひとつは、ニューロンを空間に並べれば神経の場の理論ができる。「神経の場の理論」というのも、ホモジニアスという構造を持っている。空間並進不変性という構造があって、それで何かできる。学習の話もできるだろう」
「自然勾配学習法がなぜ強力かというと、ニューロ多様体が普通の滑らかな多様体でないからです。通常ならリーマン計量を用いようが、ユークリッド計量を用いようがそんなに違わない。2倍、3倍ぐらいの違いなら、どうなったっていい話でしょ。ニューロ多様体は実は特異点を持っているので、そこで計量がものすごく縮んでしまう。それがすごく効いてきているので、自然勾配学習法が有効になる」

甘利先生は、理研BSIのセンター長を引いてもますます盛んという感じである。頭のいい人はいるものだ。