エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

確実性の終焉

暑さが続く。今日も36度近い気温で外に長くはいられない。京都も3年目だが、今年が一番暑くなりそうだ。朝涼しいうちに研究室に行って午前中で切り上げてきた。

イリヤ・プリゴジンの「確実性の終焉」を読んだ。

確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決

確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決

プリゴジンは若い頃に「構造・安定性・ゆらぎ」を読み始めて挫折して以来である。最近、カオスやら非線型力学やらの本をかじってきたので、今度は多少歯が立つかと思ってためしてみた。意外に面白い。F・K・ディックの「偶然世界」に出てくる預言者じみた老科学者をふと思った。

時間対称性を持つ古典動力学や量子力学を新たに定式化しなおして、軌道による記述を離れた統計的確率論的記述に移って、量子論パラドクスと時間の導入を同時に実現してしまうというのは、話だけ聞くとかなりの力技に聞こえる。

読んでいくと、論理は犀利だが、話は飛躍なく進む。これに比べるとペンローズの方は気合でぽんぽん飛んでいる。しかし、プリゴジンのじわじわはかなりの迫力である。

「1、我々は「持続的相互作用」を伴う非局在的分布関数を考察する。それは特異関数をもたらす。ここでも、性質の良い関数とむすびついたヒルベルト空間を離れねばならない。
2.我々はポアンカレ共鳴を考慮に入れねばならないが、それは拡散を伴う動力学的過程をもたらすことになる。
これら二つの特徴を考慮に入れさえすれば、還元不能で複素的なスペクトル表示が得られる。ここでも、複素的ということは時間対称性の破れを意味しており、還元不能とは軌道記述に戻る事はできないことを意味している。こうして、動力学の法則は新しい意味を獲得する事になる。それは不可逆性を組み入れることによって、もはや確実性ではなく可能性を表現するものとなる」

量子論パラドクスの解決は得心がいった。不可逆的な平衡状態へ接近できることもわかったような気がする。不可逆的な動力学により時間の矢の実在性は保証される。

しかし最後に肩透かしをくらってしまった。
「時間の誕生や「起源」の問題は、多分いつまでも残るのだろう。しかしながら、時間に始まりはなく、時間は我々の宇宙の存在にすら先行するという可能性は、ますます強まってきているのである」

時間は実在するのか、仮象なのか。