エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

カオスと禅

3ヶ月前から日曜日に市のスポーツセンターで卓球をしている。1時間もやっていると汗が吹き出てきて爽快である。これまではセンターでラケットを借りていたのだが、だんだん面白くなってきたので、インターネットでラケットを購入。Nittakuの「佳純ベーシック」にラバーは昔懐かしいスレーバーである。あわせて八千円ほど。「佳純ベーシック」は攻撃型シェークハンドの石川佳純モデルで、普通のラケットより1 cm弱小振りになっていて、振りが軽い。これでドライブでぶんぶん押していくと、なかなか楽しい。


合原一幸編著の「脳はここまで解明された」を読む。

脳はここまで解明された―内なる宇宙の神秘に挑む (ウェッジ選書)

脳はここまで解明された―内なる宇宙の神秘に挑む (ウェッジ選書)

コンパクトだが、わかった話だけでなく、ここがわからないという話があちこちに顔を出しているので、刺激される本だ。

伊藤正男のこの話はとても明快でわかりやすい。
「脳には非常に明確なシステム構造があり、9つのブロックの組み合わせだと考えられます。そえっらを大別すると、5つのコントローラーとそれを調節する4つのレギュレーターの二種類になります。5つのコントローラーとは、「反射」「複合運動」「生得的行動」「感覚運動機能」「連合野の働き」であり、4つのレギュレーターとは、「睡眠・覚醒」「小脳」「大脳基底核」「大脳辺縁系」です」


スケール・フリーとスモール・ワールドについての合原一幸のこのコメントは言われてみれば当たり前だが、うまく盲点をついている。
「スケールでクリアな分離はできません。ただ、脳ではむしろローカルに見て、スモール・ワールド的な性質を持っているのではないかという感じは持っています。
つまり、人間関係やホームページといったものだと、ある程度、結合をバーチャル的に自由につなげますよね。しかし脳というのは神経線維で接続しなくてはなりませんから、三次元の空間の中での制約が、どうしても出てくるんですよ。こういうシステムではハブはできにくいと思います。ハブに結合をたくさんつなごうとすると、物理的な制約を受けてしまうのです。
ですから、脳に関してはあまりスケール・フリー性は考えなくてもいいのかなとは思っています。むしろスモール・ワールド性はあると思うので、そういうものをエレメントとして脳を考える。たとえばコラムのようなものをスモール・ワールド要素として、それがどうつながっているのかとか、そのあたりのことはきちんと考えなければならない」


神経細胞のレベルでの研究は大変進みましたけれども、中程度のネットワークのレベルでの研究がなかなか進みませんね。コラムの中のネットワークが、現在では一番わからないところです」

これは伊藤正男のコメント。やはりコラムが今の焦点でしょうか。この間の坂田秀三さんのセミナーでも、「コラムの中のつながりはどうなっている」という話になると急に場がエキサイトしていたし。できればじわじわと単一神経細胞から100個程度の神経回路網に研究対象を移したいという気は前からあるのだが、この本でもそのあたりは「いやいや単一細胞が大事だ」というゆれ戻しも起きたりしているという。結局は、自分の中でfunctional structureをどうイメージするかにできるだけ素直になって決めるしかないか、というのが現在の結論。


途中で唐突に「カオスと禅」という話題がでてきて驚いたが、読んでみるといかにも合原先生らしい。
「人間が生き物である以上、坐っているときも常に思いや考えを完全に捨て去ることはできない。ただし、「思いが浮かぶ、考えが浮かぶ」ことと「思いを追う、考え事をする」こととは明確に異なるという。すなわち、思いや考えが浮かんでくること自体は、生きているからしかたがない。ただ、浮かんでくる思いや考えをそれ以上追わずに、常に手放し続けることによって、生命の実物としての自己を保つ、といった修業のように思える。
ちょっと試みてみると実感できるように、脳をそういう状態に維持するのは困難である。眠るのは簡単だし、思いを追うのもたやすいが、その中間の境界、臨界状態を「思いの手放し」を継続することによって保つのは大変難しい。これは、自分自身の起動が不安定で常にそれから放れようとする性質のあるカオス軌道と極めてよく似ている。ただし、この臨界状態を実現することが坐禅の目的でもないらしい。その状態から常にずれることが生命の本質であり、また、この臨界状態を実現しえたと思うこと自体が考えを追うことになってすでにその状態から離れているからである。カオスとのアナロジーでいえば、坐禅とは常に目標の状態から離れるという生命固有の不安定な状況下で目標の状態へ軌道を立ち返る営為を保持しながら生き生きとただ静かに坐っていることのように思える。そして、このようなカオス軌道そのものの安定化は、私たちのカオス工学においてもいまだに未解決の難しい問題である」