エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

多数決での多世界解釈

大学生協で面白そうな本を探していたら、この本が平積みになっていた。即購入。

量子力学の解釈問題―実験が示唆する「多世界」の実在 (ブルーバックス)

量子力学の解釈問題―実験が示唆する「多世界」の実在 (ブルーバックス)

この本の特徴は、多くの量子力学の解釈本が話を終えているところから話をはじめていることである。立場は明確である。著者は、量子力学の「視覚化された解釈」にこだわる。言い換えれば、量子力学をボーアのように、単なる観測結果を計算するための手段をみなすのではなく、実在する世界を記述する理論と考えたいという理由により「多世界解釈」を強く推している。

最近の国際会議で行われた量子力学の解釈についての非公式の人気投票の結果はこうだそうだ。
コペンハーゲン解釈:4票
未発見の収縮メカニズム(たとえばペンローズ):4票
ガイド波解釈(たとえばボーム):2票
多世界解釈:30票
ただし、投票に参加した90人の物理学者のうち、実に50人は態度未定。

私が量子力学を教わった80年代半ばからすると隔世の感がある。多世界解釈なんて、SFの世界(SFではパラレルワールドの方がとおりがいいのだろうが)の話で、量子力学の解釈本でさらっと読みはしたもののほとんど頭に入っていなかった。そういう人のために著者は、それぞれ違った歴史が展開する諸世界が実在するばかりでなく、世界観の伝達が可能であることを立証する実験について、言葉と絵だけでわかりやすく説明している。(アスペの実験、あるいはエリツァーーバイドマンの実験)

キーワードは「エンタングルメント」「デコヒーレンス」「一貫した歴史」の3つである。また、ものごとはランダムではなく予測どおりに振る舞い、相互作用の働く範囲は長距離ではなく局所的であるという立場を貫く。つまり、そこでは古典的な宇宙(人間が直感的に理解できる宇宙)が取り戻される。

簡単に言ってしまえば、デコヒーレンスが起きているので、分離した2つの世界は互いに影響を及ぼさない。影響を及ぼさないので互いの存在に気づかないが、それでも2つの世界が存在していると考えるのが多世界解釈だそうだ。(デコヒーレンスとは「干渉性の喪失」、つまりいくつかの互いに影響を及ぼさないパターンに分岐していくプロセスのことである。デコヒーレンスにより状態は収縮する)

多世界解釈により、量子力学の4つの基本問題が解決されるということをひとつひとつ丹念に説明しているので説得力がある。特に、そこから論を進めて、多世界解釈が、新しい物理的な仮定(余計な仮定)を必要とせず世界を説明できるという思考経済(オッカムの剃刀)的な強みが強調される。

全体としてかなりの説得力があった。少なくとも多世界解釈は際物ではなく、有力で現実的な物理理論であることは納得できた。ただ、著者も書いているように、量子力学の解釈はまだ混沌の中で、多世界解釈の有力な対抗馬として、ペンローズもいるし、ツァイリンガーもいる。当分楽しめそうである。(ファインマンの教科書で勉強していた頃の自分が随分ナイーブであったと思う)願わくば、こちらの寿命が尽きる前に、この論争の結末を見届けたい。長生きしたい理由が一つ増えた。